1000 Nails in My Heart -千の爪、千の釘-







エロはないですが、ちょっとやりすぎてます。
ディーノはヤバいヒトでヒバリはアクマですがオーケー?

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「で、ここはどこ?」
 連れてこられた部屋の前で足を止め、
「この前のホテル……じゃないよね。周囲の音とか雰囲気がちがう」
「すげえ。恭弥は鋭いな。アタリだ」
 ヒバリがつぶやいた何気ない一言にディーノは舌を巻いた。
 たった一度だけ(無理やり)招待した場所の気配を覚えているとは。
 これは特別な人間のみに与えられる天性の才能だろうか。それとも年端のいかない子供には自分の身に降りかかる危険を敏感に察知する能力が備わっているのか。
(確かに感覚が鈍った大人より、子供の方が動物に近いよな)
 のんびりとそんなことを考えながら、ディーノは戸口の前で突っ立っているヒバリの背中を軽く叩いて部屋に入るように促した。
 ヒバリは抵抗するでもなく素直に歩き出した。きっと死ぬほど罵倒されると覚悟していたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
 噛みついてきたら軽くいなして余裕を見せるつもりだったのに。たとえそれが格好だけでも。
(ちがうだろ。何を考えてるんだオレは)
 挙動不審な行動に出るのはこれで何度目だろうか。一人で赤面してぶんぶんと頭を振る姿は、他人の目にはさぞかし滑稽に映ることだろう。ヒバリに見えていなくて本当によかった。
「これ取って」
 ヒバリが前を向いたまま、無表情な声で視界を塞ぐ無粋なバンダナを指差す。すると途端に、背骨の中心を言いようのない痺れのようなものが走った。
 背筋がゾッとするとは、こういう感覚のことを言うのだ。
 動揺とは違う──これはもっと危ない類の衝動だ──下校途中の未成年を強引に車に放り込んで目隠しをして、手足の自由こそ奪ってはいないけれど本人の同意をしっかり得たわけではない。ヒバリが少しでも拒む素振りを見せたら即座に犯罪者だという自覚はある。


 帰国を明日に控えた夕暮れ時。並盛中から少し離れた公園でヒバリを偶然見かけて言葉を交わしているうちに、どうしてもどこかに連れ出したくなってしまった。どうしてなのかはディーノ自身にもわからない。
 一応食事に誘ってあっさり断られて、あとはこちらが何を言ってもいい顔をしないヒバリを最後は連れ去り同然で自分の車に乗せた。適当に常識派の部下たちは当然驚いたりしぶい顔をしたけれど、拉致される本人が案外に平然としていたから強くは反対されなかった。
 そしてこの状況に至ったのだが。
(なんつーか……とことん読めねーガキだよな)
 つくづくそう思う。
 恩ある師匠の頼みで特訓相手(リボーンに言わせると家庭教師)を引き受けたのをきっかけに、ディーノは雲雀恭弥という少年の存在を初めて知った。問題の生徒は弟弟子の先輩で、学校の応接室に入り浸っていると聞かされ、それじゃあさっそく挨拶でもしておくかと足を向けたあの日が初対面だ。
 それから経過すること数週間。
 特訓が無事に終了し、その後の騒動もどうにか決着を見て、つまりディーノはヒバリの家庭教師という役目を終えて自国へと戻る。
 その前にどうしてもヒバリと会っておきたかった。
 ヒバリが身に着けているのは染みひとつない清潔なYシャツと、取り立てて特徴のない無彩色のボトム。よけいな飾りのないシンプルな形がヒバリにとてもよく似合っている。初対面からすさまじく整っているなあと感心していた容姿は急速に衰えていく日差しのせいでほとんどが影になっていて、とがった顎の線と固く引き結ばれた唇がわずかに見えるだけだ。少し長めの黒髪の襟足がしろいうなじに被さっている。東洋人特有の黄色みをほとんど感じさせない透明な肌色と艶めいた漆黒という、鮮やかすぎるコントラストに目を奪われた。
 ふと思いついて後ろからヒバリの顔を覗き込んで──ディーノは思わずため息を吐きかけた。
 ヒバリの姿はどこから見ても異様だった。格好はまともすぎるくらいまともなのだが、たったひとつの余計なオプションがすべてをぶち壊しにしている。
 本心から、ただ会いたかっただけだったのだ。目隠しなどというちょっとした悪戯を仕掛けたのはほんの冗談というか出来心で、ヒバリが嫌がったらすまん、やりすぎたとごまかしてそのまま日本を離れるつもりでいた。
 それがなぜこんなことになってしまったのか。
(あ……やべー。自己嫌悪に陥りそう)
 考えると目の前が暗くなる。
 見えていないのに躊躇なく歩き出したヒバリの肩に手を添えると、こちらがぎょっとするほどあどけない顔が振り向いた。
 見えない目で背後に立つディーノをじっと見上げてくる。
 目隠しの奥でヒバリの瞳は非難の色を浮かべているかもしれない。けれども今はすべてが見えない──探りようがなかった。
「ホテルじゃないとしたら、ここはどこだと思う?」
「さあ。見えてないからわからない。目隠しされてるからね」
 ヒバリが素っ気なく言い捨てた。寛大な子供は、けれどもこれ以上ディーノの悪ふざけにつき合ってくれる気はなさそうだった。
「そりゃそーだな。悪かった」
 つい弱気な台詞が口をついて出る。ディーノは軽く肩を落とすと、ヒバリを胸に抱き込むようにして彼の顔を覆っていた布を取り払った。ついでに髪にくちづけたら物騒な武器がいきなり顎のすぐ下に迫った。ハグはOKでキスはNGらしい。生粋の欧米人からすればこのボーダーラインの判断はなかなか微妙だ。
 幸いにもディーノの顎を砕くことなくトンファーが引かれた。
「あんまり調子に乗るんじゃ──」
 生意気な中学生がさすがに無言で目を瞠った。ディーノがヒバリを連れ込んだのは彼のテリトリー──応接室だったからだ。
 真っ黒の大きな瞳がじろりとディーノを見上げた。二三度瞬きをして眉を顰める。
「ヒマ人?」
 返す言葉がない。仰る通りだ。ディーノは肩を竦めた。
「ホテルに連れ込むわけにはいかねーだろ。それこそ犯罪だ」
「まあ……確かにね。ここなら人に見つかっても、どうにか言い訳が立つ」
「…………そんな真顔で肯くなよ。変なガキだな」
「大騒ぎして警察を呼んだ方がよかった?」
「それは勘弁。出国前に面倒を起こすのはさすがにな。だけど嫌だって言わねーとは正直思わなかった。先生はうれしーぜ」
「──」
「なんだ?」
 ヒバリが何か言いかけたように見えた。反射的に訊き返すと、生意気盛りの子供は喉に何かがつかえたように、少し苦しそうに顔を歪ませた。
「どこか痛むのか。まさか車に乗せる時にぶつけたか?」
「──先生って? なんの冗談? あなた案外にぶいんだね」
 囁くような声だ。声は笑っていた。
 ヒバリはディーノから目を逸らせてゆるゆると首を振り、
「このままホテルか空港にでも連れていかれるのかと思ってた」
「はあ!?」
 ──絶句。
 驚愕。動転。焦燥。
 それから少し遅れて、心底うんざりする気持ちが沸いてきた。要するになめられているのだ。
「何を考えてんだ。そんなことしたら、オレはそれこそ犯罪──」
 言いかけて、今度こそ本当に言葉に詰まった。
 喉に蓋をされてしまったかのように、ぴたりと声が出なくなった。
 頭の後ろのほうでが黄色い光が点滅している。まともに見ると目をやられそうな鮮やかな黄色は心のマイナス要素を無性にかき立てる。
 途方もなく危険な存在が目の前に、否、すでに手中にある。
 気をつけて──危険。
 キケン、デス。
「──」
 自分の口から音が出ている。そのあとを追いかけて、タイムアウトを告げる甲高いサイレンが耳の中で鳴り出した。神経を尖らせて耳を傾けていると、意味のない音の羅列はやがて明確な言葉に変わってゆくのだ。
 ゆっくりと確実に指先から順番に蝕まれていく感触。
 そこから腐って落ちるわけではない。溶かされていくだけだ。しくじったって命まで取られるわけじゃない。
「オレが好きか?」
 ヒバリは答えない。ただ黙って微笑むだけ。
「連れていってほしいのか」
「どうかな」
「誘ってるよーにしか聞こえねえ」
「僕はあなたを好きだなんて言ってないし、誘ってもいない」
「恭弥おまえさ、オレと一緒にイタリアに来るか?」
 わざわざ名前まで口にしたのは勢いだ、ここに来るまでは誓ってそんな不埒なことは微塵も考えていなかった。けれども抵抗しないヒバリを抱きすくめると、こうなったのは当然のなりゆきのような気がしてくる。
 出会った瞬間にあれだけ夢中になったのだ。
 これをひとめぼれと言わずに何と言う?
「やべー離したくねー。惚れたかな」
 細い骨の感触を確かめながら腕に力を込めると、ヒバリの手が曲げた肘のあたりにそっと触れた。ヒバリの勝ち誇った笑顔が目に見えるようだ。まんまと引っ掛かったのだと思い知らされた時にはもう手遅れだった。
「ヤダ」
 明確な拒絶の意思表示と正反対のゆるい声。
 危なかった。思わず首に手が伸びるかと。
「あなたと一緒には行かないよ。今は。もう少しここで──日本で遊んでいたいからね」
 だけど。
 と声は続く。
「あなたのことは気に入ってる。また会えたらいいね」
 また会いたい。
 ──あなたは? どうしたい?
「こんの、クソガキ……っ」
 囁くようなヒバリの声はディーノの意識に最後まで届かず、身体は見えない手に操られるように前へ前へと傾いてゆく。ディーノはヒバリの腕を掴むと、華奢な体を抱えるようにして目の端に映ったソファへと引きずっていった。
 心臓や頭の中を誰かの鋭い爪が掻きむしっている。足下に散らばった目に見えない無数の釘が一歩進むたびにじくじくと神経を苛む。なんでもいいから一刻も早くこの苛立ちから逃れたかった。
 見開いた目蓋の裏に浮かんだぼろぼろの傷口に血が滲み出してゆく。その鮮烈なイメージに息を飲む。ディーノは夢中でヒバリをかき抱いた。
 わずかに息を乱したヒバリが腕の中で白い喉をさらす。
 吸い寄せられるようにそこに歯を立てた。


 その後のことはよく覚えていない。

わたしは誘い受けを誤解しているかもしれません……(項垂)