甘い舌

 季節はずれの風邪を引いた。

 普段からわりと風邪を引きやすい体質だというのは自覚していたけれど、まさか初夏真っ盛りに倒れるとは思っていなかったから我ながら驚いた。
 しかも間の悪いことに、倒れたのはディーノが来日する前日のこと。不覚だった。
 ああ面倒くさい。あのセクハラマフィアは僕が風邪ひきだと聞いた途端に、これ幸いと病室まで押し掛けてくるのに違いないのだ。
 ──ああ面倒くさい。


「風邪ひき恭弥〜」
「うるさい。騒いだらころすって言っただろ」
「抵抗できないくせに口だけはいっちょまえ」
 予想を裏切らないばかでかい花束を抱えて、にやにやしながら部屋に現れたディーノが憎い。無駄につやつやした金髪が憎い。健康そうに日焼けした肌色が。何もかもが気に障ること極まりなかった。
 ディーノは僕が風邪をこじらせて入院したと誰かから聞いて、空港に到着するやいなやここへ直行してきたのだ。途中で花とアイスクリームを買う以外にはドコにも寄り道してないと自慢げに言って、まるで当然のように僕の寝ている枕元に静かに腰を降ろした。
 なぜアイス? しかも季節限定品とかじゃなく、何の変哲もないスタンダードなヴァニラ。訊くと面倒だから訊かないけど。
「恭弥とデートしようと思ってランド貸し切りにする交渉してたんだ。風邪がちゃんと治ったら行こうな」
 熱でうつろだった脳細胞が狂ったように警鐘を鳴らし出す。
 ちょっと待て跳ね馬。今なんて言った?
「いつ誰がどこに行くって? 鼻の尖ったアメリカネズミとツーショットでも撮りたいの。そんな子供っぽいことさせられるのはまっぴらだよ」
「いーじゃんネズミ。トーキョーのランドは狭いから、部下たちを遊ばせるにはちょうどいいんだ。警備もしやすいしな」
 もっともらしいことを言いながら、身を屈めて顔を覗き込んでくる。
 明るい光が遮られて、ディーノのてのひらと、見た目よりうんと細くてやわらかい金糸が同時に頬に触れた。
 自分の体温が高いからか、髪も手もひんやりしていて身が竦む。伸ばされた腕に反射的にしがみついたら少し安心した。
「それなら勝手にすればいいけどね。僕は行かないよ」
「行くさ。恭弥は断らない。絶対に」
「どうしてそんなことが」
 わかるのか、といいかけた口を、言い終える前に塞がれてしまった。
「恭弥の……熱いなー」
 どこのことを言っているのか。唇か口の中か、それとも、いつのまにかパジャマの裾をめくってさりげなく触れてきた脇腹のことだろうか。くすぐったいからやめてくれないかな。
 窓からの風に煽られて、透けるカーテンとこれ見よがしに枕元に置かれたテーマパークのパンフレットがめくれあがる。ふわり、かさっ……と、普通ならば気に留めないほどのちいさな音が続けて響く。
 昼下がりの病室には自分たち以外に誰もいない。
 口の中の、ディーノの舌が触れた粘膜が溶けそうに熱い。目がかすんで頬の火照りがひどくなった。いらいらさせられたからか、また熱が上がってきたような気がする。
「アイス食べるか?」
 いささか唐突にディーノが訊ねた。ベッドの上に身を起こして重い頭を垂れて肩にもたれかかっていると、つむじの真上を大きな手でゆっくりゆっくり、何度も撫でてくれる。
 高カロリーで高タンパク。体の熱を少し下げてくれる。「風邪を引いて何も口に入らない時に食べるといい」のだと、マフィアのボスがまじめに言うのだ。ものすごく嘘くさいと思ったけれど、頭がぼんやりしていて言い返すのが面倒だった。どう返事をしたのかおぼえがない。
「口開けて恭弥。ほら、……舌を」
 くちびるに冷たい金属が触れたのを合図に口を開けると、キン……と冷えたあまいものがすべり込んできた。
 それはすぐに溶けて存在を見失い、とろりとねばつく液体が舌の上に残った。それすらもすぐに感じなくなった。もう一口含まされると、今度は額のまんなかがちりちりと痛んだ。それから奥歯がずきずきした。
 ──染みとおるような冷気に身震いがする。
「もっと?」
 ディーノの声に反応して、首が勝手に縦に振れた。
 一度、二度、三度……目蓋の奥がくらくらする。
「もっとちょうだいって言ってみな」
 いま彼(ディーノ)はどんな顔をしてるだろう。
 見てみたいような、見たくないような。見たら絶対殴りたくなるに決まってるけど。
 ──もっと、ディーノ。もっともっと、ほしい。
「ワオ」
 満足そうに笑う声が遠い。
「顔が赤いと赤ちゃんみてー。かわいいなー」
 ごめん失敗、口の端にアイスがついたと言いながら、舌で唇のきわをぺろりとやられて、そのまま熱くてやわらかい塊が歯列を割ってもぐりこんできて、あまったるいヴァニラ味がまた口中に広がっていく。
 おもちゃにされてるのはわかっていて、つめたくてあたたかくてあまい接触が心地よくて、ぬるぬるする口のなかをやさしく動き回るディーノの舌を何度も噛んだ。

風邪ひきの子供をつかまえて遊んではいけません。