深い森

 入り口を隠すために積み上げた枯れ草を退けて穴ぐらを出るとき、いやな予感はしたのだ。扉代わりの草の束が妙に重かった。おそるおそる顔を出すと、外には一面の銀世界が広がっていた。昨夜から降り出したのは知っていた。
 けれど、まさか積もるとは思っていなかったのは甘かった。とんだ番狂わせというか、とりあえず食料をどうするかが問題だ。食料を貯め込んでいる秘密の場所には今日行くつもりだったのに、これでは目的の場所を見つけるのすら難しい。
 ディーノは巣から這いずり出て、青灰色に染まった空を見上げた。ぴんと立った耳の先に当たる風の乾き具合で、ああ冬だなとあらためて実感する。降り積もる雪に吸い取られてしまったかのように、外の世界には音というのものが完全に消え失せていた。どこからともなく聞こえてくるのは自分の呼吸音と風の音だけだ。
 雪のせいばかりではなく、冬の森というのはいつも怖いぐらいに静かだ。
 群れを成すほとんどの動物たちは春が訪れるまで、できるかぎり暖かくいられる穴を見つけてそこに閉じこもっている。暖かい毛皮を寄せ合い、相手の心臓の音にじっと耳を澄ませながら。生まれたばかりの頃、ディーノもそんなふうにして母親やきょうだいたちに囲まれて厳しい冬を乗り越えた覚えがある。
(こんなところでぼうっとしててもしょうがねえな。食べ物を取りに行ってくるかあ)
 まっさらの地面に足跡を残すのは危険だが、そうも言っていられない。
 ディーノは急いで餌場に向かった。目指すはねぐらから少し離れた大木の根元だ。そこに冬籠もりのために獲り貯めたエサを埋めてある。ここだと思う場所を前足で掘り返すと当たりだった。ちょうどよく凍った餌をひとつくわえて地面の下から引きずり出す。後ろ足で地面を元通りに雪で埋め、急いで巣に戻った。
 また風が冷たくなってきている。この調子ではまた今夜も雪になるかもしれない。凍った風がナイフのような鋭さで肌に染み込んでくる。
 そういえば起きてからまだ何も食べていなかった。
 空腹でその場にへたり込みそうになったが、ディーノは気力を奮い立たせて巣を目指した。自分は丸一日何も食べなくても死にはしないが、穴の中で眠っている子供はどうかわからない。発見した時にはすでに半分天国に逝きかけているような状態だったし、何日も飲まず食わずだったようで当然のように猛烈に腹を空かしていた。それに今は落ち着いて眠っているが、いつまた目を覚まさないとも限らない。
(急いで戻ったのに帰ったら冷たくなってられたら、それこそシャレにならねえだろ)
 一度嫌な考えが浮かんでしまうと気が焦る。ディーノは速度を上げてひたすら走った。雪の大地を滑るように駆け抜け、そのままの勢いで巣穴に飛び込む。
 心配の種だったそれは最後に見た時と同じ場所に、
 ──ふかふかの枯れ草の寝床の上にいた。傷ついた前足を自分の胸に抱え込むようにして横たわっている。ディーノは足音を立てないように気をつけながら、よく眠っている子供のすぐ傍まで近寄っていった。寝息が近くなる。
 大きな刃物でごっそり削り取られたような断片を晒す崖の下できつねの子供を見つけたのは、一昨日の昼間だ。真っ逆さまに上から落ちたらしく、折れてはいないが前足は血で真っ赤だった。
 そのまま放っておいてもよかったのだが、ディーノは仔ぎつねを自分のねぐらに連れ帰ることにした。血の匂いのほかに人間の匂いがするのは気になったが、幸いこの雪だ、巣穴に引きずり込んでしまえば、後を辿られる心配はないだろう。
 ケガのショックで気を失っている子供など、餓えた動物が潜む冬の森では死んだも同然だ。そのまま放置してもどうせ誰かに見つかって食われるだけだし、ダメだったら自分が食料にすればいい。そう思って連れてきたつもりだったのが。
「おーいチビ。眠たいのはわかるが、そろそろ起きてメシを食わないと死ぬぞ。起きろよ」
 ころんと寝転がって目を閉じている小さな体を揺すってみる。そしていやでも気づいてしまう。起きはしないが息はあるから大丈夫だよな、とホッとしている自分にだ。もう一度、今度はほっぺたを指でつついてみた。すると、子狐がごろんと寝返りを打った。
「……なに」
 寝転がったまま不機嫌そうな声で言う。なんていう態度の大きい子供だろう。呼んでも顔を上げようともしない。
「なに、じゃねーよ。メシ持ってきたって言ってるだろ。走ってるあいだに凍ってたのがちょうど溶けたから食えよ。うまいぞ」
 まだ中身は半分氷だが、かまうものか。腹に入れば同じことだ。脇に落としていた餌をくわえて子供の目の前に落とすと、大きくて黒い瞳がそれを追ってきょろきょろと動く。子狐はようやく草の上で身を起こすと、突然降って沸いた食料に顔を近づけて神妙な顔でにおいを嗅いだ。くんくんと鼻を鳴らしてひとしきり嗅ぎ回っては、ちょっと休む。また近づいて鼻をひくひくさせる。子供らしくかわいい仕草だ。
 やがて満足したのか、顔を上げてくっきりと黒目がちの瞳をディーノに向けてきた。
「……これのどこが美味しそうなの? ものすごくまずそうなんだけど。こんな不気味な食べもの見たことないよ」
 ディーノは土の天井を仰いでうなり声を上げた。だから子供は苦手なんだ!
「おまえなあ。それが飢え死にしかけてたのを拾ってやった命の恩人にむかって言うことか? 外を見てみろ、大雪だ。それ取ってくるのもけっこう面倒だったんだぜ!」
「でも、こんなまずそうなもの、食べる気がしない」
「こ、の、やろぉ……っ」
 ガッチリ握ったこぶしが痛い。一発ぼかんとやりたい衝動を抑えこむのは大変だった。
 それでも、なら食うなとはどうしても言えない。居心地のいいねぐらに見知らぬ死体を置いておきたいのでなければ。食わさなければこんな貧弱な体格の子供など、明日の朝には冷たく固くなっているに決まっている。
「じゃあおまえは、いつもどんな餌食ってたんだよ。言ってみろ」
 子供がぷつりと黙り込む。やがて思い出すものを指折り数え始めた。
「イチゴとか、りんごとか、うさぎとかシカとかニワトリとか」
「ばっかやろ。それならこれだって食えるだろ。それうさぎだぜ。おんなじじゃねえか」
 子ぎつねがこわい顔でぶるぶると首を振る。
「だから、こんなきもちわるいもの食べられないって言ってるだろ。匂いは似てるけど見た目が違いすぎ。僕が知ってるうさぎは耳とか顔とかついてなくて、もっと小さくてぐちゃぐちゃだった」
「それは……」
 やはり思った通りだった。
 以前に噂で聞いたことがある。生まれたてのうちにこの辺一帯を治める領主に拾われ、人間の屋敷で飼われているきつねがいるらしいという話は本当だったのだ。道理で野良にしては身綺麗にしていると思った。
「お前が食べていたそれは、お前の飼い主が大きな肉片をわざわざ砕いて与えてくれてたからだ。ふつうは餌ってのは、お前の目の前にあるのみたいな形をしてるもんなんだよ」
「そうなの。へえ」
 仔ぎつねは初めて知る事実に少しは興味を抱いたようだが、だからといって、じゃあ自分でどうにかしようとは思いつきもしないようだった。それで、僕が食べられそうなものはいつ出てくるんだ、という顔でちょこんと座っている。呆れるしかない。
 やさしかった飼い主は今、ここにはいない。それがわかっているのか、いないのか。そして最悪なのは、本人はそのことの重大さをちっとも理解していないことだった。
「しょーがねえな。小さくちぎってやるから、それを食えよ。その代わりまずくても全部残さず食べろよ。冬に肉があたるなんて、オレたちみたいな暮らしをしてる動物には滅多にないことなんだぜ」
 きつねがしぶしぶ頷く。
「よし、いい子だ」
 溶けて柔らかくなった餌の一部を食いちぎり、ふて腐れたように前足を抱える子供の前にぽーんと放る。きつねの子供は胡散臭そうにその様子を眺めている。まだ手を出そうとはしない。でも目は肉に釘付けだ。
 ディーノはかじり取った肉片をさらに細切れに噛み分け、きつねによく見えるよう地面にゆっくりばらまいた。
「それでいいだろ。お望み通りぐっちゃぐちゃのバラバラだ。じゃーな。オレは寝る。食うか食わないかはお前の勝手だ。オヤスミ」
 言うが早いか、ディーノは警戒心丸出しの子供に背を向けて地面に寝転がった。よく聞こえるように、わざと大きな寝息を立てて目を瞑る。さっきから腹がぐうぐう鳴る音がうるさいくらいなのだ。子ぎつねが肉に飛びつくのは時間の問題だろう。


 ディーノの知る限り、人間の囲い者から野生に戻った動物の行く末はおおむね決まっている。
 自然の中で生きる自由さと厳しさを知ってなお死に物狂いで生き延びるか、その覚悟すらできる前により強い動物の腹の中に収まるか。おそらくはそのどちらかしかあり得ない。そして肉を抉り取る鋭い歯がじゅうぶんに生え揃ってもいない、生まれてから一度も自力で餌を獲ったこともない子供が過酷な森の冬を生き延びられる可能性は皆無だ。
「人間に飼われてたお前がどうしてこんな時期に外に放り出されちまったんだ? 大きな屋敷でぬくぬくしてればよかったのに」
 肉を咀嚼する音が聞こえなくなったのを見計らって振り向くと、ちょうど走って逃げ去る小さな後ろ姿が見えた。子供のきつねは満腹になると、すぐにディーノを避けるように巣穴の隅にむかってまっすぐ突進していったようだ。
 今は背中を壁に押しつけて縮こまっている。こちらが少しでも動くと敏感に反応するのは警戒しているからだ。
「そんなビビらなくても、べつに取って食おうとは思ってねえよ。食料にするつもりならとっくにしてる。おまえは崖下で気を失ってて、オレがここに連れてきたことも知らなかったくらいなんだぜ。目が覚めたらびっくりしてただろ、ここ、どこ、って」
 お前のような子供がどんなにいきがっても、この世界で生き延びるのは簡単なことじゃない。そう言っているのがわかるだろうか。逆に言えば、ここにいればとりあえず命だけは安全だということが。
 ディーノは返事をしない子供に根気よく話しかけた。
「お前、自分の家にひとりで帰れるか」
 しばらく待っていると声がした。
「……帰れない」
「じゃあせめて、自分ちのある村がどっちの方向にあるかくらいはわかるか?」
「……知らない」
「やれやれ」
「ふん」
 そっぽを向いたままだったが、一応答えらしきものが返ってくるようになった。ちらりと盗み見ると目が合った。が、すぐに逸らされてしまう。この調子では飼い主のいる村を探り当てるのに苦労しそうだ。
(それに、あいつ)
 迷子きつねの巣を探すよりも先に、急いでどうにかしなければならないことがある。
 きつねの足下にシミのような小さな血溜まりができていた。本人は必死で隠しているつもりだろうが、独特の酸っぱい匂いはどんどん濃くなり、狭い穴ぐらのなかに充満し始めている。鼻の利くディーノが気がつかないわけがなかった。
「おい、ちびすけ」
「…………」
「なんで返事しねーかな。まあいいか。それよりお前まだ足痛いんだろ。見せてみろ」
「…………」
「また傷が開いたんだろ。舐めもしないで放っておいたうえに、無理して走るからだ。早く手当てしないと一生走れなくなるぞ」
「チビなんて呼んでも返事しないよ」
「あーそうかよ。かわいくねーなっ」
 言っても聞かない相手をいちいち言葉で説得するのは無駄な努力だ。ディーノは目にも留まらぬ速度で子狐の元までひとっ飛びに駆け寄ると、子狐の首の後ろにかぷっと噛みついた。甘咬みでも不意打ちならば、相手の動きを止めるのに十分効果がある。びっくりして逃げようとするのを前足と体重全部で上から押さえつけると、勝敗は一瞬で決まった。スピードと反射神経で囲い者が野生に勝とうなんて百年早い。寸足らずの体を転がして上向かせる。ひょろりと細長い後ろ足を掴んで手前に引き、付け根を手で探って確かめた。
「やっぱりな。やせ我慢すんなよ。痛かったんだろ」
 傷口はまだ相当に熱を持っており、出血も止まっていなかった。白い皮膚を縦断する横一文字の裂け目は濡れてぬるぬるしている。刃物で切られたようだ。
「じっとしてろよ。この体勢で暴れたら間違って傷口を咬んじまう。それって今よりも、もっともーっと痛いぜ?」
 大腿部にあたたかい息を感じ、きつねがぶるりと身を震わせた。
 ディーノはきつねの足にできた傷にそっと舌を這わせた。溢れてくる紅い滴を少しずつ舐めとってゆく。
「……ッ」
 ひどく痛むのだろうか。きつねが息を飲んで顔をくしゃくしゃに歪めた。しっかりしろというつもりで手を握ってやると、すがりつくような危うさで握り返してくる。傷をぺろっとやると、それに呼応するように握る力が強くなる。不思議に思い今度は傷口に舌の先を直角に当てて揺らすと、とうとう手だけではなく腰が軽く地面から浮いた。何度やっても同じになる。
「もしかしてお前痛いんじゃなくて、くすぐったくてピクピクしてる?」
「知らないよっ」
 はっきり尋ねたのはまずかったようだ。思いきり非難がましい目で睨まれてしまった。思わず噴いたら、傷ついていないほうの足を蹴り上げようとする。もう少しで腹を蹴飛ばされるところだった。
「あっぶねーな! 何すんだよっ」
「それはこっちの台詞だよ! 何してるの、いきなりそんなとこ舐めるな! ばかっ」
「バカって……治してやってんだろ。知らないのか? 俺たちは皆こうやって傷口を舐めて癒すんだぜ」
 きつねの黒い目がみるみるまん丸になる。
「うそ」
「嘘じゃねーよ。こんなときにくだらねえ嘘ついてもしょうがねえだろ。わかったらじっとする。動くとほんとに本気でガブっといくぞ、くそガキ」
 子狐の頬にサッと朱が差したのは痛みからか、それとも一人前の羞恥心からか。
「……もしかして、治療してるとは思ってなかったのか?」
 子供のきつねは無言だけれど、図星であることは顔を見ればわかる。やはりきつねはわかっていなかったようだ。
「マジかよ。しょーがねえ奴だなー」
 じゃあ何してると思ったんだよ、と問い詰めたい気はするが今はそんな場合じゃなかった。新鮮な血の匂いがつーんと鼻を衝く。ディーノはきつねの白い足にまた顔を伏せた。
 舌が触れても抵抗しなくなったところをみると、むこうもいちおう納得したらしい。きつねが黙るといきなり周囲の物音が消え失せ、ぴちゃぴちゃという水音が薄暗い巣穴いっぱいに響き渡った。
 満足するまで舐め終えてディーノは顔を上げた。
「よし、だいぶきれいになったぜ。これでしばらくは大丈夫だろ。それにこうするのは別に恥ずかしいことでも何でもないんだぜ。自分しかいなけりゃ自分でするし、番の相手がいる奴は相手にしてもらうこともある。自然界ではごく当たり前のことだ……えっと、」
「恭弥」
「え?」
 よく聞き取れなくて反射的に訊き返した。
 固く強ばっていた仔ぎつねの体から力が抜けていく。
 やがてごくか細い声で、震える唇で、きつねはくり返した。
「きょうや」
「恭弥って……そっか、それがお前の名前か。きれいな響きだな。恭弥」
「あなたの名前は」
「オレ? オレはディーノだ」
 傷の痛みが和らいで安心したのだろうか。恭弥はもうディーノのそばから逃げようとはしなかった。助けられながら身を起こし、大きく一回深呼吸をした。不思議そうな顔でディーノが舐めた傷をそうっと撫でている。
「ディーノ」
「なんだ」
 今にも消え入りそうな声にどきっとさせられる。
 目を合わすと、真っ黒の瞳がぱちぱちと瞬いた。星の浮かぶ夜空みたいにきらきらしている。
 こんなきれいな目を見たのは初めてだった。吸いこまれてしまいそうだ。
「ディーノ……僕、」
「ん……?」
「ものすごく喉が渇いたから、水が飲みたい」
 恭弥はディーノをまっすぐに見上げてそうつぶやくと、ふああ……と眠そうに大きなあくびをしたのだった。


 冬でも枯れない木々がひしめく森の夜は早い。
 日が落ちるとあたりは急激に暗く染みいるような闇に包まれ、動物たちにとって平穏な眠りと危険を同時に運ぶ世界に変わる。分厚い氷で覆われた大地からしんしんと降りかかる冷気のせいで、暖かいはずのねぐらの天井まで凍りついてしまったかのようだ。骨まで凍てつかせるほど寒い夜には、絶対的に熱量の足りない体をいくら縮めても温かくはならない。生まれて間もない子供は自力で冬を越せるようになるまでは、母親の懐に包まれて暖を取る。皆そうやって大きく強くなっていく。
 生まれてからの時間のほとんどを人間の元で暮らした囲い者にとって、冬の森の夜は想像を絶する寒さだろう。子供がよく我慢している。けれども堪えるにも限界というものはある。それは仔ぎつねの抑えた息遣いから、隣で眠るディーノにひしひしと伝わってきた。
「寒いんだろ、いいからもっとこっちに寄れ。食わねえから」
「べつに」
 寒くない、と言い返す語尾が震えている。夜目のきくディーノには青ざめたきつねの顔が丸見えだった。どこが大丈夫なのだか訊いてみたい。今にも気を失いそうな顔をしているのに。
 ため息を吐きそうになりながら、ディーノは体を丸めたきつねの腕を掴んで自分のほうへと引き寄せた。
「一晩中隣でぶるぶる震えてられたら、こっちが眠れねーんだよ。来い」
 声を上げるヒマもなく、小さな体はころころと簡単に転がってくる。上から頭を抱え込むと、案外すんなりおとなしくなった。これぐらいの年頃は誰でも同じだったろうかと、ふと思う。
 自分が仲間と共に旅をしていた頃はどうだっただろうか。
 ディーノには、こんなふうに抱いて暖めてもらった記憶はもう残っていない。あまりにも遠い昔のことだからだ。最後の仲間とはぐれたのは数年前。ディーノはひとりでこの森にたどり着いた。
「寒い夜には、お互いに暖めあって眠るのが俺たち野生のルールなんだよ。わかったか、強情っぱりめ」
 膝を立て、ふさふさの尻尾を仔ぎつねのほうに届くよう真横に投げ出す。小柄なきつねはディーノのしっぽと腕で抱えるのにはちょうどいいサイズだ。肉の薄い骨張った体にしっぽを巻きつけると、毛皮の間に埋まってしまいそうだ。
「寝ろ。森の冬は長いんだ。意地張ってると、いつまでも寒いまんまだぜ。そんなのイヤだろ?」
 子供は何か言いたげな目でディーノを見上げていたが、眠気には勝てなかったようだ。恭弥……、と呼ぶと耳の先をひくりと動かして応えた。目蓋の落ちる間隔が頻繁になり、呼吸が弛む。ことんと頭が落ちてやがて動かなくなった。
「どうしてここはこんなに寒いの」
「雪が降ってるからだ」
「雪ってなに?」
「明日の朝、外に出てみればわかる。世界がまっ白になってるから驚くぜ」
「ふうん」
 きつねはほとんど眠りかけていた。声がうつろだった。寝ぼけたまま、ディーノのしっぽの先を口に入れてやわらかく噛みしめる。
「お前の家探しは雪が溶けるまでおあずけだな。こんな季節に森を歩き回るのは危険すぎる。とりあえず暖かくなるまではここにいろ。メシくらいは分けてやるから」
「春っていつ来るの」
「さあな。だが、そのうち来るさ。いい子で待ってればな」
「あなたは……何者? 体もしっぽも大きいし、僕と同じには見えないな。それに髪の色が……違う……」
 きらきらしてる、と子供のきつねが呟くように言う。夢の中から。
「だろ? 金の髪は狼の中でも珍しいんだぜ。オレもまだ同じ色の仲間にお目にかかったことはねえな」
 きつねはもう聞いちゃいないだろう。とっくに眠ってしまっている。起こさないように静かに抱き寄せると、ほっとする温もりがディーノの腕の中に落ちてきた。甘くていい匂いがする。
 雪解けは遠い。
 冬のあいだ森の動物たちはひっそりと、息を潜めるようにして暮らしている。固い氷を割って、草花の新芽が顔をのぞかせる日まで。
 ひゅうひゅうという吹雪の音が聞こえている。
 あの怖ろしい音が止むころに季節は巡る。朝になったらきつねにそう教えてやろう。温かい体を抱え直して目を瞑ると眠りはすぐに訪れた。
 こうやっていくつかの昼と夜を過ごせば、そのうちに春はくる。さよならはすぐにやってくる。

07年1月のイベント用無料配布より。
続編のために、お蔵入りのをこっそり出してみました……。いやコッソリじゃないか。
けものミミが好きすぎる自分が時々コワイです。ふさしっぽ萌え〜。
続編はコチラ。(1周年記念「あなた」/あなたの世界)