liar

「ひどくやられちまったな」
 二度目に顔を合わせたとき、自称「師匠」はまるで自分がケガをしたかのように顔をしかめてそう言った。病室の隅で部下から容態を聞き出し、それから近寄ってきて「そばにいてやれなくて」と言いかけて口を噤む。出血多量で倒れたのを聞いてからここに駆けつけるまでに、一日余分にかかったのだと言う。
「知らない。僕は寝てたみたいだからね」
「言わなきゃわからなかったのにって? 恭弥はやさしいな」
 謝ったら腹いせに一発見舞ってやろうと思っていたのに、アテが外れた。手探りで握ったトンファーの行き場はなくなり、力の入らない指をすり抜けてリノリウムの床を転がっていった。前から感じていたことだけれど、ディーノのいうことは意味がわからないことが多すぎる。
 ある日突然学校に現れて「リボーンの知り合いだ」と言い、「オレの話を聞け」とえらそうな態度でヒバリを誘ったこの男。
 断っても聞きやしない。生意気な態度が勘に障って叩きのめすつもりが、いざ闘ってみるとけっこう歯ごたえのある相手だったから面白くなってもう少しつき合ってやることにした。目の前でちょろちょろする下級生のためにどこかの馬の骨と戦えというのは気に入らなかったが、相手のボスがマフィアの後継者に推されるほどの実力者だと聞いて気が変わった。だから今日まで茶番劇につき合ってやった。それ以外に理由などない。マフィア同士の抗争に手を貸してやったつもりはさらさらない。この男が言うから闘ってやったわけでも、もちろんない。
 だから戻ってきたときに教え子が病院のベッドの上にいたとしても、彼が気に病む必要などないのだ。
 少し気前よく血を流しすぎた。自分で思っていたよりもケガがひどく失血が多かった。治療するにも輸血が必要な状態で、自力で回復に必要な血液を作る余裕がなく「絶対安静」を言い渡された。それを大げさに捉えられるのは不本意だ。
「どっか痛むか? 鎮痛剤を少し足したって聞いたけど」
「別に。体の感覚がおかしいのが気になる。薬のせいだね」
「強いやつじゃねえって。そのうちに感覚は戻るだろうから心配すんな」
 そうか、頭がぼんやりするのは薬のせいなのか。朦朧としながらヒバリは思う。
 上から石を乗せられているみたいに体の中心が重いのは、少し疲れているからだろう。だからいつもなら気にも留めない些細な言動がひどく気になる。声が遠いとか、どこにも触れてこないこととか。不思議に思いながら自分から手を伸ばす。ディーノはすぐに気がついて顔をのぞき込んできた。徐々に視界が明るくなる。見たい顔は無理なく見える位置にあった。手のひらを上に向けて開くと、ちょうどよく互い違いに指をからませてくる。
 強く握られるとそれで満足した。しっかりつかめるものがあると不安が少し和らぐ。体に感じる痛みはそれほどでもなかった。誰の助けもなく、動きもできず意識を失うことも許されず、長時間ただ痛めつけられ続けたことだってあるのだ。あの時に比べればマシだった。ふざけたワイヤー野郎にとどめを刺せなかったのは腹立たしいが、ケガをしたこと自体は何とも思っていない。それよりも今は、心配そうにのぞき込んでくる彼の目のほうがよほど気になる。
「まだ眠いんだろ? 無理しないでいいからゆっくり眠れ。明日の朝までは時間があるんだ。オレはここにいるから、傷が痛んだら呼べばいい」
「ディーノ」
 呼ぶ声はほんの小さいものだったが、
「なんだ?」
 わざわざ体を屈めて訊き返してくる。目と目が合った。思い通りにならない唇をなんとか動かして「大丈夫」だと三度言った。その度に頬を撫でられるのには閉口した。眠たくなるまじないなのか、いつもすぐに寝てしまうからだ。気持ちはいいが気分は悪い。これはすきだ、これはきらいだと簡単には振り分けられない、気になる赤ん坊もいない、家族も知り合いもいない混沌としたものの中に、彼はいる。焦点の合わない世界のまん中でくっきりと浮かび上がっている。痛くはなかった。本当に痛みを我慢しているのは彼のほうだ。
 ヒバリはつながれた手を解くかわりに腕を伸ばして、急に近くなった金髪を抱え込んだ。
「ちょ、待て、あぶな……っ」
 ほんの少し抵抗されて、むきになってさらに引き寄せると、ディーノのほうが先に覚悟を決めたようだった。遠慮がちに体を預けてくる。背中をつかむ指先はうつろで、抱きしめられる感覚すら鈍い。茶色の瞳は見えなくなり、暗闇の中で非常用のグリーンランプだけが明るく浮かび上がっている。自分の心臓の音が耳の奥に響いていた。

そういうあなたを すきではないけど きらいでもないよ