あのころ、

 彼女とケンカしたあとに、手っ取り早く仲直りするためにどうするかと言えば、なし崩しにベッドに入ると言った友人がいた。スクール時代の同級生の話だ。
 そいつとその彼女はたしかその当時つき合って一ヶ月くらいで、仲が良いときは目も当てられないほどベタベタしてるくせに、いざケンカを始めると言葉だけではすまなくて、手どころか武器が飛び出るような物騒なカップルだった。よく死ぬだの殺してやるだのと大騒ぎして暴れ回ってもめては、次の日にはけろりとして人目も憚らずくっつき合ってる不思議なふたり組。
 だが──特殊な環境にあったオレたちのスクールでは、こんな感じでネジが一本飛んだふうなやつらは特にめずらしくなかったように思う。そいつらはその中で少しだけ目立つ存在だった、という程度だ。実は家同士が同盟の上位を狙ってつぶし合いをしているという複雑なカップルだったが、そういう組み合わせだってあいつらの他にいないことはなかった。奇妙ではあったが、タブーではなかった。ガキだったオレたちには、家より何より今の自分がいちばん大事だと思える日々だったから、だろうか。
 その片割れの男のほうに尋ねてみたことがある。
 おまえらあれだけ派手にケンカしといて、仲直りするときにいつもどうしてるんだって。
 なぜならあいつらのケンカときたら、実はお互いにきらいなんじゃねーかと疑うくらいの激しい罵り合いばかりしていたからだ。今思えばオレも若かったなあと苦笑するしかないが、そのときのオレにとっては彼らの関係が不思議でならなかった。
 そいつから返ってきた答えはガキだったオレを呆れさせるにはじゅうぶんなほど、適当にろくでもないものだった。
 花でも贈るのか。──いいや、違う。
 じゃあ宝石でも? ──んな高価なもん勿体なくてやれるかよ。
 じゃあいったいどうやったら、あの娘はあんなに人が変わったみたいになるんだよ。
 オレがそう言うと、なんだかんだ言ってもやっちゃえば機嫌は直るから。そいつはそう言って笑ったのだ。
 正直、それってなんか違うんじゃねーのって思った。
 当時オレには真剣につき合ってるひとはいなかったが、青くさいカラダの不満を解消させてくれる相手には事欠かなかったし、それなりにバカやってヘラヘラ遊んでたころで、人のコトをえらそうに説教できる立場でないのは承知していたし、だからそいつの考え方がどうとか言うんじゃなく、ささくれ立ったこころを均すために服を脱ぐのはさびしいなあって、もっと違う次元でどうしても離れがたく、最初はひとつだったものが分かれたというか、言い訳とか体裁とか全部取っ払ったところでそのひとのすべてに吸いこまれたいと思う相手が、この世のどこかにいるんじゃないかって。
 勢い余ってそう言ったオレに、そいつは珍しい動物でも見るような目を向けた。
 おまえわかってねーな、と鼻で笑われた。
 そういうのはオレたちはいいんだよ。いらないんだ。かったりィんだよ、そういうフツーなの。オレらどうやっても普通の世界じゃ生きられねーし。それからそいつはふと、なんだか急に10才も年上の──疲れたオッサンみたいな顔になった。
 まーでもお前悪いヤツじゃねーよな。その友人はまぶしそうな目でオレを見て言った。そういうくさいの悪くねえな。あの女も、お前みたいなヤツとつき合ったほうが絶対いいのになって。
 そいつがそれをどんな思いで口にしたのかは知らない。訊く気もなかった。どうでもよかったからだ。オレたちは簡単な挨拶を交わして別れた。そしてそれっきり口をきくことはなかった。
 同じ年の秋。海外での長い休暇を終えてスクールに戻ると、男のほうの姿が消えていた。風の噂では、南の海での休暇中にボートから転落してそのまま行方不明になったということだった。そいつの家は以前から内部で黒い噂の絶えないファミリーで、そいつはボスの妾腹の息子だったから、跡目争いに巻き込まれたのではないかという噂が立った。別の噂では対立組織の手にかかったらしいとも。が、どっちにしろその手の陰謀はこの世界ではよくあることだ、学生ごときが追求していい話ではなかった。誰もが本気でそいつの身を案じているわけではなかったし、だから時が経つにつれ、そいつの存在自体が級友たちの記憶の中から自然に立ち消えていった。残された女のほうが何を考えていたかは、オレのこところまでは聞こえてこなかった。誰に何を尋ねられても、一切口を閉ざしていたと聞いた。女は卒業を待たずにスクールを去ってしまい、それからの消息は杳として知れない。
 オレは今でもたまにふとした瞬間に、そいつの顔を思い出すことがある。
 例えばこうして──故郷から遠く離れた異国の空の下で、はじめて本気になったひとを抱きしめているときなんかに。
 あの頃は見えなかったことが見えるようになり、どうやってもできなかったことが容易くできるようになり、自分よりも大事な存在を手に入れたとき──オレは昔の級友を懐かしく、愛おしい存在のように心に思い浮かべる。
 一見何もかもを自分の自由にできるようになったとしても、思い通りにならないことは事実、存在する。抗うすべを持たない大きなものに立ち向かおうとする強い意思を挫くには、立場や年齢という足かせの効果は絶大だ。
 なあ、オレだって、がんじがらめでどーにもならない流れの中で生きてんだよ。
 自分の足で踏ん張って、それでもたまに流されて、ふらつきながら幻まで見そうなあの腕をどうにかつかんで、引き寄せて、力任せに抱え込んで抱き返されたときの感激ったらなあ。
 人の目をまっすぐ見ないで、なんだかんだ言ってもやっちゃえば、と嘯いたあいつの本音は今でも知らない。知りたくもない。今そこにいてもオレとは違う道を行っただろーなと思うくらいで。
 あいつと寝るの、好きなんだよ。最後に言い訳みたいにくっつけてたけど。
 ときどき、あれって真理だよなあと、心底思わされるときがあるんだ。
 遠く離れたところにいるはずのひとの中にいて、直にそのひとを感じてるときとかな、生きてりゃいいか、なんでもいいや、これがいちばんいい、あまい言葉やモノより大事だよなって本気で思わされちまうことが。
 たまに、あるんだ。

06年10月30日初出。習作。まったくわからないけど、ヒバリたんとえっちするのが好きなディーノさん、というかDH。身も蓋もない。