背中と太陽

 意識を取り戻した時に最初に目に飛び込んできたのは、太陽だった。
(まぶしい……)
 とりあえず目を開けていられない。
(痛いのは……眼球だけじゃなさそうだ)
 目を射る光を避けようにも、指を動かすだけで身体に震えが走るくらいに激痛が走る。それに──頭。痛くて割れそうだ。規則正しい振動を感じるたびに心臓が縮むような感じがする。どこかに移動中なんだろうということだけはわかったけれど、降ろせと咬みつくだけの気力も体力もさすがに残っていなかった。
「いたい……」
「だろーな。おまえ今、全身打撲と裂傷の見本市みたいになってっから。もうボロボロ。でもまァ安心しろ。すぐに病院に連れて行ってやるからな。もうちょっとの辛抱だぜ」
「そう」
 ごく自然に話しかけていたし、答えが返ってきたときも変だとは思わなかった。とんでもなく疲れていたせいもあるけれど、少し呆れたせいもある。自慢じゃないが一撃たりとも手を抜かなかったから、勝てないまでも相当のダメージを食らわせた自信はあった。その証拠に、しっかりしがみつかされた背中からむせ返るような血の匂いが漂っている。
 けれど僕を背負って運ぶひとの足取りは揺るぎなく、しっかりと一歩一歩前進していることを教えていた。
「ボス、あんた足ひきずってんな……それたぶん筋がいってるぞ。かなりいてえだろ。無理に我慢しないでその子をこっちに貸せよ。オレが代わる」
「うっせー。こんな子供に手傷を負わされたくらいで、師匠がへばってられっかよ。オレをみくびんじゃねーって」
「だからそれをやせ我慢ていうんだろ。ほら腕からも血が出てきたぞ、血ダラダラー」
 かなり楽しそうなもう一人の声を遮ったのは、迷いのないまっすぐな笑い声だった。
「いーんだよ。下に車を待たせてくれてんだろ? そこまでくらいオレが運んでやりてーんだ。大事な弟子だからな」
 おかしなことを。それにはっきり言って聞き捨てならない。誰が誰の弟子だって? そんなこと承諾した覚え、ないけど。勝手なこと言わないでくれる。
「うお、いててててて!」
 たぶんこれが肩だろうと思う筋肉のかたまりを力任せにつかんでやると、涙まじりの素っ頓狂な声を上げる。傷口に指をつっこんだようだ。ぬるりと血が流れた感触があった。
「なにすんだよこのじゃじゃ馬! いてーじゃねえか!」
「あなた、みたいな…へなちょこが師匠……だなんて、僕は……っ、ごめんだからね……」
 息を吸い込むたびに肺に痛みが走って、うまくしゃべれない。屋上の砂埃で喉もやられてる。言いたいことを全部言ってしまうまでに、かなり時間がかかった。なのに自称「師匠」はこちらが話し終えるまで黙って待っていた。
「いった……」
 おかしい。いつもの僕ならこんなことは絶対に言わない。痛いとかしんどいとかできないとか口にしたら負けだからだ。
 それなのに──口が勝手に弱音らしきものを吐き出している。
「気持ち……わるい。吐く」
「はいはい。吐きたかったら遠慮なしに吐けよ。そりゃそうだ、肺もやられてるだろうしな。あんまいてーなら気絶してろ。次に目が開いたときにはウソみてーにピンピンしてっから。うちのロマーリオはこう見えても救護のプロなんだぜ」
「こう見えてもってなんだよ」
「だってよ、どう見てもおまえ医者には見えな……ぅいでッ! 頭狙うなよアタマ! しょっぱなトンファーでめちゃめちゃ殴られてんだぜ!?」
「じゃー少しは良くなってるかもな。よかったなーボス」
「ひでえ!!」
 だめだ。笑えてきた。こいつらバカすぎる。
「ふたりとも、うるさい。傷にひびく」
「す、すまん」
「あーボス、車見えてきたぜ!」
 遠くから賑やかな声が聞こえている。薄目を開けて見ると、黒塗りの車を取り囲んだ数人の男たちがこちらにむかって手を振っていた。そのときおかしなコトに気づいた。時間は夜で、太陽なんてどこにも出ていないのだ。でも確かにまぶしかった。幻を見たんだろうか。
 変だな……と思いながら、外灯の下を通り過ぎたときに、あるはずのない太陽の正体がわかった。
(そういえば……このひと金髪なんだっけ……)
「ん? なんだよ急に笑い出して。おかしいな。頭は攻撃してねえつもりなんだが」
 僕が返事をしないことなどお構いなしに、脳天気な声は続く。
「まーいいや。病院に着いたらまずケガの手当をして、風呂に入って汚れを落として、それから着替えもしなきゃな。制服ズタボロにしちまったし。そういや制服ってどこに行けば買えるんだ? ツナに訊いときゃよかった……」
 まあいい、だって? それはこっちの台詞だよ。言い返すのがバカバカしいからおとなしく聞いてやってるのがわからないの。
「とにかく眠れよ。──よくがんばったな」
 えらそうな言い種は気に食わなかったし、師匠面されるのにもムカついたけれど、これ以上何かやり返したらよけいにうるさくされそうだったし、とにかく疲れていたし、ひろい背中はそれなりに心地よかったから、僕は思いついた文句を頭のすみに追いやって今は眠ってしまうことにした。
 夜が明けたら次の闘いが待っている。

06年7月10日初出。