in the other side of love

微妙な18禁
らぶらぶDHにはほど遠い
おおむね甘くない
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 崩れかけたこころのバランスを保つのは容易じゃなかった。
 必死ですがりついて涙で目を潤ませ、あからさまにきわどい声をどうにか喉の奥に閉じ込めるだけで精一杯で、無遠慮に見下ろしているだろう琥珀色の瞳にどんな自分が映っているのかにまで思いを巡らす余裕はない。
 ガタ、ガタ、と揺れて悲鳴を上げているのは体の下にした机だ。かわいそうなほど軋んでいる。本来の用途とは全く別の使われ方をしているのはどうかと思うのだけれど、実はこの部屋中でこれ以上にこういう使用目的にもってこいのものはないのだった。だからここの机はしょっちゅう寝台代わりにされる。支えにもなるし寝床にもなる。天板に腹をぺったり押しつけて背後から開かせられるのが最近の定番だった。こうすると姿がとてもよいのだという。かわいいなどとありきたりな形容をされるのは不本意だ。格好がよい、と言われるのはすこし気に入っている。
 前屈みに手をついてちょうど具合がいいくらいのどこにでもありそうな量産品の木製机は、職員用の事務机ほど殺風景ではないが、気に食わないからいつか取り替えてやろうと思いながら手をつけられずに今に至る。
 いま、とは、とくに限定して、こういう場合を指す。
 別々の意図を持ち、てんでに動く体と体を無理に密着させようとして、焦りと汗ですべってなかなか思うようにいかないとか。そういうとき。いっそのこと互いの腰から下を縛ってしまえば簡単だけれどそうはできない。だから離れたくなければ楔を打ち込んで留めるしかなかった。たとえばの話ではなく。
 腿の裏をつかんで左右に開かされる。あいだに潜むものにそっと指先で触れ、つぎに舌が触れ、さらに指が数本に増えやさしく暴かれるまではあっというまだった。咥えこまされているのだと思い知るまでには少し時間がかかった。そういう事実を理解することを頭が拒否しているからだ。性的な意味合いよりも気持ちを馴らすのが目的のあまい接触をくり返して、ついさきほどまではいい気分で夢中になれていたのに、段階が進むととたんに意識が冴えるのがつらかった。上からのしかかられる重みに耐えられないと感じ、今日こそ壊れてしまうのではないか、残らず持っていかれてしまうのではないかというおなじみの不安にとらわれるのも。劇薬を使うときに起きる副作用のように、どこもかしこも敏感になった反動で望まない正気までが戻りつつあった。彼好みのみっともない姿を隅々まで見られているのだと思うと、戸惑いをおぼえるこころとは無関係にからだが震え、何度目か、どうしてこんなことをしたがるのかがまた理解らなくなった。キスだけでこんなに苦しいのに、この上どこをつなげても交わしてもきっとしんどいだけだ。最後に至るまでの上り坂の熱さや息苦しさを思うと逃げ出したくなる。たまらない。
 一切の内容がつながらない無意味で断片的な思考が実はひとつであることを思い出し、腕を引かれるように現実に引き戻される瞬間がいちばん危険だ。それに声。指がぐっと深く入ると直に内臓に触られそうでゾッとする。すると出したくもないあらわな声が出てしまう。それはまるで季節になると発情する動物の鳴き声めいていて、この雑音を聞かずにすむなら耳を塞ぐどころか削ぎ落としたっていい。それぐらいにきらいだった。
 腹の裏側をなかから押されるのもきらいだ。すごく感じるから。
「はぁっ…あ……っ、んっ」
「我慢なんて、ホントはさせたくねーけど、ごめんな……もうちょっと、こらえて」
 くすぐったいくらいに肌の近くで彼は言った。手足を突っ張ってもがくと机上で簡単に体を返され、くちびるらしき柔いものがときどきみぞおちに触れ、臍のくぼみを吸いその下へと降りていった。
「そういう声、オレとしてはすげェいいんだけど、あんまり外に聞こえすぎると、ひとが来るぜ」
 彼の言葉に脅すニュアンスは微塵も感じられない。むしろ声を低めてときどき区切りながら耳元に囁きかけるのは、いかにも危うげなこちらの気を確実に引こうとする気遣いの現れだろう。けれども瞬間的にふたつの意味で背筋がふつふつと粟だち、意識が遠のいていきそうになった。声が近すぎる。そして完璧に人払いができているのは委員たちだけだ。放課後なのだから職員や一般の生徒が教室前を通りかかる可能性はじゅうぶんにある。異様な悲鳴を聞きつけられたらと思うと、怖くはないがうれしくもなかった。なにより間違って中断させられてしまうのがいちばんイヤだ。
 ふれられていたい。丁寧にされることで感じる、四肢をしばりつける紐がほどけていくような解放感は彼に会うまでまったく知らなかったもので、少しずつ試しながらそれを味わうのは楽しかった。こわい、いやだ、と切実に感じるボーダーラインは自分の内に明確にある。そこに針が振りきれそうになるとすかさずそう言う。すると彼はわかった、と口では言わないまでもそこできっぱりと行為をやめる。ちがう、その限界よりもひとさし指の関節一コ分くらいよけいに浸食してからやっとやめる。いやだけど、それぐらいならいいか、と、こちらはついゆるしてしまう。それをずっとくり返すうちに臨界点がじりじりと押し上げられてゆき、今ではなかで指を好きに動かされるくらいは平気になった。熱心にいじられて高められ、自分なりのちょうどいいタイミングでいくこともおぼえた。バカバカしいけれどそれなりに進歩している。
「だいじょうぶだ、ゆっくりでいい、自分でいいトコ、わかるだろ」
「……っ、あ、ぅんっ、」
 外すとあたりまえにくやしくて、上手にできると戸惑って思わず腰を引いてしまう。彼が指を遠慮なく動かしてうちがわを的確にこするのにつれて、いろんな部位が一度にひくひくするのがわかった。肺とか足の指とか腹筋と背骨のうんと下のほうとかが。きもちよくしてくれる彼の指の見えている部分が長くなったり短くなったり、やがて出入りする間隔が短くなり一箇所で円を描くような動きに変わると、突然廊下に響くほどの大声が聞こえて、誰かと思ったらそれは自分のあげた悲鳴だった。まともに見なければよかった。いっこうに止まらないサイレンをのみ込もうと顔を近づけてくるひとから必死で視線を逸らせて、左腕に刻まれたあざやかな自己主張のしるしをにらむ。最初からこうすればよかった。すごく挑戦的な絵だ。挑発的というか。急にむかついて、急にそこを咬みたくなった。重いあたまを傾げていちばん好きな黒い馬を目指した。
 やっとたどりついて、噛みしめたとたんに
「うあ、っあ」
 パンパンにふくらんだ風船が内部で破裂したみたいに達した。
 彼がわずかに息を飲む。いきなりつよく咬んだからびっくりさせたみたいだ。自分でもほとんど予兆がないまま急にのぼりつめたからか、ショックで心臓を吐き出したかと思うほどどきどきして手が震えた。自分の行動の意味に気づいたのは彼が痛いと呻きながらも、実際に吐き出したものを手の中に全部受け止めてくれたあとだった。そうか、だからだ。つなぎ止める杭が指だけだと心許なかったのだ。
「おまえまだ乳歯あんじゃねーのか。すげえいてーぞ。咬みちぎられるかと思った……」
 殴ってやりたい。返事なんかできない、息が上がりすぎて。のしてやりたい。彼の両手がとっくに自由になっているのは見えているのに、体内の異物感はいつまでも消えない。まだ何本か入ってる気がする。やがて空白を感じはじめるとたまらなかった。
 またひとつ、こうしてまんまと段階を踏んでいくのだ。もしかするとこれが最後のステップなのかもしれなかった。足りないと感じる時点で欲望は生まれている。
 こころの位置する場所とはかけ離れたところで、ぼくはぼくを感じる。
 思慮が浅く惚けた目で、じっとこちらを見下ろしている。
 そんな遠いところで遊んでいないで、はやくこっちにくればいいのに。なにをもたもたしているんだって知ったような顔をされるからむかつく。手が届くなら叩きのめしてやるのに。そうするつもりで使い慣れた武器をあてずっぽうで探しあて、つかんだと思ったら急に眠気がおそってきた。ぼくはあっけないくらい簡単に眠りの淵を転げ落ちていった。トンファーを手元に引き寄せたと思ったのは夢だったようだ。待ってといって慌てて揺り起こされて、しぶしぶ目を開けると彼が困った顔でほほえんでいて、ぼんやりひらいた手のひらは何もつかんではいなかった。

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「つうかな。こんなときにこういう内容の会話をしてるってのはどうなんだ。オレ今なんかすげえ複雑な気持ちになったぞ……」
 オレのもさわってと言うからきちんとさわってやって、すべて終わって、彼はたった今よごれをおざなりに拭き取った手でぼくの髪を手慰み程度にもてあそんでいる。お互いのからだが落ち着いてから(と言っても彼はいつも本当には満足しないままだ)さっき感じたことを告白すると「うそだろ」と言って、疑問符をいっぱい貼りつけたような妙な顔をされた。
「あれだけ必死で泣きわめいてるときに、頭の中じゃそんなワケわかんねえこといっぱい考えてんのかよ。すげーな。脳の役割分担が完璧ってことか? すげー」
 こっちはまじめに言ってるんだけど。こんなに笑われるなら言わなきゃよかった。
「それって頭がよすぎるからか。お前がふたりいるかどうかはともかく、感情とからだの反応が別なのはおかしなことじゃねえだろ。お前くらいの年じゃなくても大人にだってよくある。つうかそんなんばっかりだ」
「そういう曖昧なのがいやなんだって言ってるんだ。自分がバラバラに解体されるみたいで気味が悪い。こんな感じは初めてだから……」
 どう受け止めていいのかわからない。それだけだ。
「なら素直に認めればいいだろ。オレとするのがすきなんだって」
「それだけはいやだ。絶対に、──い、や、だ」
「いやにきっぱり言うな。口先だけでもオレを喜ばせようとか、そういうのは、ないのか」
「ないね。あるわけない」
 自分に素直になることで気分がよくなるとは限らない、むしろ真逆だ最悪だと反論すると、それは正しく誤っている、知らないふりをしたってだめだと諭すついでにキスをされた。なんだコイツごまかそうとしてると思ったけれども、泣いてわめいて拒みたいほどじゃなかったから正直にそう伝えると、たいがいはそんなもんだろと軽く流されてしまった。
「大事にされてるのはちゃんと知ってるんだから、今は体だけで満足しておけよ。お前はこれからのひとだからずるくない。全然おかしくないし狂ってもいないし、いい加減でもないしつき抜けてもいない。それに」
 子供だましのまじないみたいだけど、彼のくれる言葉は時と場合によってはけっこう効く。跡形もなくなるけれども循環するだけだ。ないわけじゃない。けれどもいっときは消えてなくなる。固い氷がゆっくり溶けて地面に吸い込まれていくのを目の前で見ているようだった。
「自分を持て余して困ってる恭弥っていいよな。すげえかわいい」
「最後の "かわいい" はいいよ、いらない」
「ははは。言うと思ったぜ」
 彼に言わせるとそれは決してとらえ方が間違っているわけではなくて、まだ追いついていないだけなのだそうだ。
 全然わからないんだけど、どこに、なにがと尋ねると、ひどくまじめな顔で、あいに、こころが、と、理解しにくくきれいな日本語で教えてくれる。そこにはありったけの愛情とすこしの希望が含まれている。こういうところが彼はかわいい。うそがつけないひとなのだ。
 ああそうなんだ、それは今すぐ解決するにはちょっと難しいねとぼくが言うと彼は不思議とうれしそうに、今日はいっぱいしたから疲れただろ、黙って眠れとしつこくあたまを撫でてくるから、それがどうにもうっとうしくて安心して半分うとうとしながらぼくは笑って言った。ひたひたと満たされていくのを感じながら。

 はい、先生。この問題についてはまた今度。

体先行。未熟なひとの本心はときに脳とは別の──肋骨の奥よりさらにえぐい場処に存在する。
かしこい子に限って天然で相当あけっぴろげだったりするので困りもの。