燦々と差し込む太陽に無理やり起こされた。
見ると両側から閉じられているはずのカーテンの中央──本来重なっているべき部分に腕一本ぶんくらいの隙間が空いている。急に目を開けるとてきめん頭痛を起こしそうなほどの快晴が覗いていた。まぶしいのはあれのせいだ。
まぶしすぎる日射しをいやだと感じないことがあるなんて、朝が苦手なはずのヒバリからすれば本気で新鮮な発見だった。それだけでもこのわがままなひとにつき合って、国内とはいえ最南端の離島まで旅行にでかけた甲斐があったかもしれない。
夜が明けたとき、目につき刺さるような太陽の光がまっさきに飛び込んでくるのは東向きの窓からだった。三方の壁を取り囲む大きな窓のカーテンがすべて全開なのは、隣で眠るひとがとりわけ朝日を好むのと、このホテルの窓からの眺めがよすぎるからだ。ホテルに着いた日の夜景があまりにもきれいだったから、きっと朝の風景もきれいだろうと言って、部屋のカーテンを開けっぱなしにして眠ったのだ。
知る人ぞ知る避暑地なのだといって、突然の旅行に連れ出されたのは昨日の昼。
先に聞かされた滞在予定日数は1週間。行き先はキャバッローネのプライヴェートハウスと言っていい、海辺のサマーハウスだ。真っ青な背景から浮き出るような白亜の城然とした、ヨーロッパ風建築が目を引く瀟洒な建物である。
メインダイニングやそこそこ充実したリゾート施設のほかに、滞在できる部屋数が10ほどある建物はホテルと言うには小さく、住宅と言うには少々作りが変わっている。それもそのはず、新オーナーであるディーノが言うには、ここはかつては個人向けの別荘仕様のマンションだったらしい。何かの事情で夏前に売りに出されていたそれを今度の来日に合わせてキャバッローネが急遽買い上げ、突貫で内装をいじったのだそうだ。主な目的は年下の恋人を小旅行に連れ出すこと。この滞在が終わったら日本でのビジネスに転用するのだと言っていた。
いろいろな意味であまりのスケールの違いに呆れはてたヒバリだったが、ディーノからこんなところがあるんだが行くかと尋ねられたときに素直にいいよと返事をしたのには、ヒバリなりの気持ちがあったからだ。
今までははるばるイタリアから日本に通ってくるひとを待つだけで、ヒバリ自身がどこかへ動くということがなかった。だから今回の遠出はまだふたりがつき合う前──例の修行の旅に連れられて以来、はじめての旅行ということになる。
(それにしても、まぶしすぎ……カーテンのリモコンどこだっけ)
目を瞑ったまま頭のうえを適当に探ったけれど、目的のものは見つからない。しばらくゴソゴソと頭上で手を動かしても当たらないので、しょうがなくあきらめた。ヒバリはのばした腕を引っ込めて体を丸め、もう一度眠る体勢に入った。まあいい。どこもかしこもあかるすぎるけれど、イヤな感じはしない。
にぎやかな市街から離れたホテルの周囲にはほんとうに海しかないうえに、宿泊客といえば自分たちの他にファミリーの構成員が20人あまり、それ以外にはホテルマンしかいない。外界からほぼ隔離された高級リゾートホテルは朝から物音ひとつしなくて、起き抜けのぼやけた頭に適度な刺激を与えてくれるものは日光くらいだから、それさえも失ってしまったら、あとに残るものはすぐ近くから響いてくる穏やかな寝息くらいだ。
この部屋にはディーノと、自分しかいない。
あまり思い出したくないコトをふいに思い出してしまい、眠りに落ちかけていたヒバリの意識が急激に冴えた。
行こうと誘われたからといって、知らない土地にふたりだけで何日も滞在する。その事実はヒバリにとって、天地がひっくり返るくらいに重大なことだ。
(完璧に目が、覚めた……)
元々眠りの浅いヒバリはこれ以上どうがんばっても眠れそうになかったが、寝る時は死んだように眠るディーノには、まったくと言っていいほど起きる気配がない。あとどれくらいこの状況に耐えればいいのかを考えると、少々うんざりした。
(いま動いたら……起きるかな)
そう思うと、うかつに体を動かせない。けれども全然動けないのは辛い。
どうしようかと思い巡らせていたときだ。
染みひとつない天井から壁へと、ぼんやり移動していたヒバリの視線を引き留めるものがあった。床の上に。
(なにあれ)
(…………ネコ?)
(……の、死体?)
そんなはずはない。
だったら、なに。あの物体は。
起き抜けのはっきりしない頭では、見たものを瞬時に判断することができなかった。色は黒っぽかったり赤だったりくすんだ緑色だったりさまざまで、くしゃくしゃっとしていて、長いものが小さく丸まっているように見える。
ヒバリは反射的に開きかけた瞳をもう一度細めて、部屋の入り口からベッドへ向かって不規則なラインを描く得体の知れないものをじっと見た。
(何だっていいか。動かないし、べつにヤなものじゃなさそうだし)
首を無理に捻った状態だからか、2秒と経たないうちに疲れた。
加減を知らない誰かのせいでかろうじて目蓋を上げておくくらいはできても指一本動かすのはすさまじく億劫、なんで僕がこんな目に、とわかっていても理不尽な怒りが込み上げてくるほど、つまりヒバリはへとへとなのだった。先日日本に到着した早々に注文して運ばせたというウォーターベッドに身体が沈み込むが感じが心地よくて、また目を瞑りそうになってしまう。隣に人がいるから、思うように寝返りをうてないのだけが不満だ。
それに昨夜記憶が途切れたあたりからずっと腰を片手でしっかり抱き込まれていて、すこし体が強ばっている。腰の下敷きにしている異物の正体を目で確認したら、やはりベッドと体のあいだから自分のものではない腕が生えていた。
(……まさかここまでバカ、だとはね)
思い違いでも見間違いでも夢でもなかった。
昨夜寝る前に軽くもめた一件は現実のことだった。
くだらない攻防戦に鼻の差で勝利して、一晩中触っていてもいいという権利を得た模様入りの左腕は、色こそまだ変わっていないがとっくに血流が止まっているに違いなかった。起きた時に感覚がなくてのたうち回るのはまるきり自業自得だけれど、そもそも武器に鞭を使うひとがこんなに自分に無頓着でいいのだろうか。
(それにしても、あつすぎ……)
太陽はすでに頭の真上に近い位置にある。視界が白いのは日射しのせいだ。目蓋が灼けつきそうだ。
けれども部屋の空調は完璧らしく、夏らしい温度も湿度もまったく感じない。
暑いのは、常時発熱状態かというようなディーノの体温のせいだった。微熱があるんじゃないかと疑うくらいに、身体のどこかに触れているだけでとにかく熱くてたまらない。
(……このまま蹴り落としてもいいかな)
(この高さなら間違っても死ぬことはないし)
(たぶん)
落としていいかどうかを悩む前に、叩き起こして腕を離させようという発想には間違ってもならない。目を覚ましたら覚ましたで数秒後には全開でかまいたがるに違いなくて、わりとうざったいからだ。
昨夜軽いとは言い難い運動をさせられたあと、相手に完全に背中を向けた状態で眠りについたことは覚えている。拗ねてしつこくこっちを向けと迫られたから、いやだねそんなバカげたことをいうひとは舌かんでしんで、と丁重にお断りしたのだった。当然の話である。
そうでなくても昼間に思い出したら赤面するようなコトばかりさせられているのに、そのうえ向かい合って寝て起きたら顔が目の前だったりしたら僕はたぶんあなたをベッドから落とすよ、と咬みついてやると、しばらくぶつぶつ言って不満そうにまとわりついていたけれど、じゃあ背中から抱くからいいとめずらしくむこうから妥協する姿勢を見せたので、好きにすればいいと折れてやった結果がこの体勢だ。ほんとうに手のかかる。
ヒバリは慎重に身体をひねった。肋骨の下でディーノの腕が引きずられ、軽くねじれる感じがする。これでは絶対に痛いと思うのだが、下敷きにされている本人は平気な顔で眠り続けているのがいっそ不思議だ。ようやく落ち着く位置を見つけて力を抜き、一息つくと同時にヒバリはギョッと目を瞠った。
(うわっ……顔、近……っ)
ふつうの間柄ではあり得ないほど、互いの距離が近い。顔と顔がくっつくほどではないが動きが限定されているからか、空間のわりにかなりの密着感がある。相手の瞼が閉じていなかったら、とてもじゃないがじっとしていられる体勢ではなかった。
けれども幸いディーノは眠っている。観察するには絶好のチャンスだ。
一晩中こうしていたからさすがに暑かったのだろうのか、ディーノの額にもうっすらと汗が浮かんでいる。
濃いめの金髪はシーツに散らばるほどの長さはなく、額と頬と首の後ろにまとまって張りついている。日光に照らされた頬がキラキラ光っているからなにかと思ったら、金色の産毛だった。まともに日が当たっている髪の毛の先は、黄色というよりほとんど白に近い。長いまつげも同じ色。むかし家族の誰かが集めていた人形のナイロン毛を思い出した。今は閉じている目蓋が上がると、そこに黄色みがかった琥珀色が加わる。何から何まで黄色から茶のグラデーションでできているひとなのだ。
「ん、……おはよう、恭弥……」
「……遅いよ」
「そうか? ゴメンな、……昨夜はよく眠れたか?」
ディーノが眉間を皺よせて瞼を揺らす。目を覚ましたのだ。
「なんだ、うでが……おもっ…………」
まだ寝ぼけているくせに。
夢の中にいて、現実を半分認識してぼやいていてさえ、こちらを引き寄せようとする。
「腕が、うごかねえ、なんで……?」
「傷むから、腕。じっとしてて、いま抜く……」
ディーノの寝起きがすさまじく悪いのは、約三日間の完徹のあと、日本に向かう飛行機の中でも一睡もせずに仕事の書類に目を通していたからなのだと。
だからちょっとぼんやりすることもあるだろうが怒らないでやってくれと、ボス思いの部下が耳打ちしてきたことを思い出し、体を起こそうとベッドの上で身を捩った瞬間に、さっき見かけたしわくちゃのものの正体が唐突にわかってしまった。
「あ」
ヒバリはぽかんと口を開けた。
あれは服だ。黒いのは自分のシャツかパンツで、赤とカーキはディーノのTシャツと迷彩色のカーゴパンツ。昨夜部屋に帰ってベッドにたどり着くまでに一枚ずつ剥がれて、剥がし返してやって、そのまま床の上に落とされた──。
昨夜はどこかのネジが吹っ飛んだみたいに、全力で求めてくるひとを拒まないように自分の気分をシンクロさせるのが精一杯で、脱いだ服の行き先にまで気を回す余裕はなかった。
あれは狂ったように過ぎていった夜の名残──というより残骸に近い。
「恭弥…………よかった、まだ、いた」
急に蘇った高揚感にヒバリが気を取られていると、ディーノは心からホッとしたように言って、身を乗り出してヒバリの裸の肩に顔を埋めた。肌に吸いつくように唇と舌が触れ、実際に吸われたそこと唇の届かない胸のまんなかの奥の方にわずかな痛みを感じて、やわい感触が離れていったあとには二ヶ所の離れた部分にほのかな熱が残った。
「なに、それは、どういう意味」
数秒間の沈黙は、ディーノが口ほどには寝ぼけていない証拠だ。
「昨夜あれだけ好き勝手したのに、お前めずらしくやめろとか、いやだとか、一度も言わなかっただろ」
「だから?」
「だからな、ちょっと、ゆめかと、思ってた。オレひとりが自分に都合のいい夢を見てて……起きたらおまえがどこにもいなかったら、せつねえなあって」
バカじゃないの……と思わず口から出かかったのは、単に条件反射だ。良くも悪くもそういう癖がついてしまっている。これも原因のひとつかも知れない。
南国の太陽はますます強く、窓を溶かすほどあかるく降り注いでいる。目を開けていられないほどしくしくするのは、日光のせいだけではなく、絶対的に色素の薄いひとのせいでもある。滅多に見せない情けない顔をするからだ。
「いいよって言ったのは、この旅行のことだけじゃ……ないよ」
「ああ知ってる、……悪い、ちょっとな、言わせてみたかっただけだ」
「いいけど。それより太陽がまぶしすぎて目が痛い。あなたの手、貸してよ」
「手?」
なんだよ、わがままだなあとディーノは笑って言い、自分を見ているヒバリの両目を上から手で覆って陰を作った。きっと顔を見られたくないだろうと思ったから、ヒバリはディーノの手のひらの下で黙って目を瞑った。
「ありがとう、ちょっとマシになった。しばらくそうしてて」
「ああ、……ん、わかった。目が慣れたら言って」
しばらくはこのままでいようと思う。強引で傲慢なのにたまに駄々っ子のような年上のひとを甘やかすのも、たまには悪くない。
「目を眇めたのは眩い太陽のせいじゃない」
ボスどうしたの! 弱気! ヒバりんどうしたの! やさしい!