きみをおもう

「お届け物です」
 応接室の扉の向こうからそう言って声をかけてきたのは、宅配便の配達員だった。
 ヒバリは身体を預けていたソファから、ゆっくりと身を起こした。
「届け物? 誰に?」
「伝票のお届け先は……雲雀恭弥さま、となっていますが」
 緑色のキャップを被った若い男は、縦に長い箱に張り付けられた伝票を目で確認して朗らかに言った。
「雲雀さまはいらっしゃいますか?」
 ヒバリはああそう、僕あてだと手をひらめかせて、配達員を部屋に招き入れた。
「差出人は?」
「N県U市……アイリスガーデンプレイス様、となっております」
「アイリス……?」
 覚えのない名だ。
 まあいい、そこにおいてと部屋の片隅を指さし、大の男の腕が回らないほど巨大な箱を受け取った。


 日本を訪れていたディーノが別の仕事が入ったと言って、当初の目的とは違う地方都市に移動したのは昨日だ。
 今回の滞在期間は約1週間という短期間の上に、仕事上のトラブルで急遽帰国が決まったとかで、明後日には本国へとんぼ返りするのだという。それでもどうしても顔が見たいと言い張るから、ヒバリは仕方なくそれなら朝から学校へ来ればと彼を誘った。ディーノは喜んで飛んできた。けれども実際に二人が顔を合わせたのは授業開始寸前のほんの1時間程度、しかもフライト当日は平日だから学校のあるヒバリは見送りにも行かない。


『恭弥いるか!? 会いたかった!』
『やあディーノ、ひさしぶり。さよなら』
『ひでー!』
 授業が始まる直前に応接室に駆け込んできたディーノはかなり取り乱していて、ヒバリを見るなり飛ぶように抱きついてきて、とんでもなく早口のイタリア語で何事かまくし立てた。
『せっかく日本にいるのに恭弥に会えないなんて、オレなんか悪いことした? したか?』
『さあ。したから時間がなくなったんじゃないの?』
『ちーがーうーーー! 断じて違うっ』
 ディーノは天井に向かって吠えていた。このイタリア男は感情表現が豊かすぎるといつも思う。
 本気で切羽詰まっているらしいディーノが、完璧にマスターしているはずの日本語を発していたのは最初だけ。あとのぼやきは全部母国語だった。ヒバリを抱きしめる腕は離れるまで一度も力が弛むことなく、苦しいくらいだった。
 これ以上騒がれても困るので、全然わからないんだけど、意味は、とは訊かずに適当に聞き流した。ホントにゴメン恭弥あいしてるとかそんなようなことを言っているのだろうなと漠然と思うしかなかく、そのままヒバリの後について授業にまで参加しかねない勢いだったから、またねと言って早々に学校から追い出してそれっきりだ。
 次の約束はしないまま別れた。
 元から彼は忙しい身だし日本を拠点にしているわけではないから、次にいつ会えるかなんて本人だってわからないだろうし、そんなことを訊くのは無意味だ。


 開け放した窓から風が吹き込んでいる。半透明のボイルカーテンが強めの風でふわりと浮き上がった。目の前には差出人不明の届け物がひとつ。中に入っていたパンフレットを見ると、アイリスなんとかというのはギフト用の季節の生花を届ける商売をしている会社らしい。中身は大輪のアイリスの花束だった。箱にぎっしりと4、50本は入っている。
 花弁の中心はベルベットのような質感の白、ふわふわと柔らかそうな周囲の花びらは明るい紫色で、線を引いたように白く縁取られている。その花はアイリスと聞くと誰もが思い浮かべそうな、ありきたりな姿をしていた。誰かの署名のあるカードは添えられていない。束になった花弁を指でかき分けて中まで探してみたけれど、お得意の「会いたい」とも「すきだよ」とも、それどころかやはり、どこを探しても贈り主本人の名前は見あたらなかった。
 それでもヒバリは迷うことなく確信する。
(こんなバカなことをするのは)
 ディーノしかいない。絶対に。
 単純に名乗り忘れているのか、名乗る気がないのか──それとも?
 すきだ、大事だと口では言いながら、取り上げてしまう時には容赦なしだ。わざわざ会いに来なければ、思い出しもしなかったものを。
(それにどうせなら本国に戻ってから、何でもいいから適当なものを見繕って贈ればいいのに)
 慌ただしい移動先からわざわざ贈り物をしようと思いつくなんて、なんともはやマメというか。考えなしというか。
 それとも、どうしてもこの花を贈りたい理由でもあったのか。
(まさか……)
 箱から取り出した紫色の花束を腕に抱えて、ぼんやりと窓の外に目を遣る。ヒバリはつい先日、クラスの女子が携帯を見ながら盛り上がっていた光景をふと思い出していた。
「はな、こと、ば」
 誰が決めたのかは知らないが、花にはそれぞれに特別の言葉があてはめられているのだという。そういう乙女的発想はヒバリには理解不可能で興味がなく、すっかり忘れたつもりでいたのだけれど。

 永遠の愛?
 約束?
 わたしを忘れないで?

『大事にします』

 別れ際に彼は憎たらしいほど流暢な日本語で、大まじめな顔でそう言って、
『だから次に会う時は、』
 さらっていくから、そのつもりで。
 確かにそんなことを口走っていたけれど……まさかね。


 急に強い風が吹くと、抱えていたアイリスはゆらりと傾きヒバリのほうへと寄り添ってきた。けれども突然のおくりものには差出人の名前すらなく、聴きたい声は届かず、ヒバリに何も教えてくれない。
「きれいだね、ありがとう」
 単なる独り言。誰も部屋にいないから。
「あなたはほんとうに変わってるよね……乙女?」
 込み上げてくる笑みを抑え、不意の風に揺らされふわりふわりと誘う花弁にそっと唇を寄せる。甘い花の香りは緑の風に流れて、すぐに消えていった。

「春の風の匂いに包まれて」
アイリスの花言葉は一説によると「あなたを大切にします」だそうで。乙女……?