「天気がいいからどっかいこーぜ、どっか」
下校途中の道端で山本が放った一声で、遊び盛りの少年たちのあいだから奇声……もとい歓声が上がった。
「ディーノさんもどっすか? 一緒に」
「へッ。別にへなちょこは来なくていーぜ」
「はははは。おまえディーノさん好きだよなー」
「好きじゃねえ!」
「どっかってどこだよ」
「ベタですけど、近所の公園に散歩とか? 学校から10分くらいのとこに県立公園があるんですけど、無駄に広いから思いっきり走り回れるんすよ。やったらでかい木があって、そこで昼寝すんのめちゃめちゃ気持ちいーから、よく……」
「よく?」
「あ。なんでもないっす。で、行きます?」
「行くのか行かねーのかハッキリしろ。置いてくぞっ」
「ほんとお前ディーノさん好きな」
「好きじゃねーっ!!!」
かわいいことを言う子供とかわいくなく悪態を吐きまくる子供を交互に見ながら、うん、それはいいかもな、とディーノは思った。
帰国を明日に控えた慌ただしいスケジュールの合間を縫って、わざわざ可愛がっている弟弟子とその仲間たちの顔を見に来たのだ。本国に戻ったらしばらく日本に来ることはないだろうし、今回の来日は特に事件続きでゆっくりするヒマがなかったから、最後に彼らと一緒に緑に囲まれて羽を伸ばせばきっと気分がいいだろう。
「おし。んじゃ、ちょっと遊んでいくか」
「おっしゃ決まりー!」
そんなわけでディーノはツナのクラスメイトの女子と部下も誘って、大人数でぞろぞろと近所の公園に出かけたのだった。
公園に着くと、ちょうどよく人の姿はまばらだった。
ディナーまでにはまだ少しの間がある中途半端な時間帯だからだろうか。イタリアに限らず欧米では公園の周辺と言えばそぞろ歩きする人々の姿が絶えないのだが、ここでは等間隔にいくつか置かれたベンチに、老夫婦やヒマそうな学生がぽつぽつと座っているだけだ。広々というより閑散としている。ディーノを連れ出した悪ガキふたりはすでにはるか遠くにいて、さっそくケンカだかじゃれ合いだかわからない好戦的なレクリエーションを繰り広げている。のどかな光景だ。
「並盛にはけっこう来てるが、ここは初めて来たな。きれいな公園じゃねーか」
「広いだけが取り柄っていうか、空と木と芝生以外なーんにもないんですけどねー」
「で、あれが山本の言ってた昼寝スポットか?」
あははと笑って頭を掻くツナの横で、ディーノは公園の中央あたりに青々と葉を茂らせている大木に目を留めた。ツナはそうですと答え、すぐにハッとしたように身を乗り出して周囲を見回した。
「そう言えば……あれ? おかしいなあ。この時間なら絶対ここにいるはずだって、山本が言ってたんだけど……」
「ん? 誰がいるって?」
「えーっと、ですね……」
落ちつきなくきょろきょろしっぱなしだったツナが、急にあっと声を上げて顔を輝かせた。
「いた! ほらディーノさん、あそこ!」
やたらうれしそうに、得意げに指さすツナにつられて、遠くからでも見上げるほど大きな木の根元あたりを目を遣ると、太い幹の陰にうずくまる黒くて小さなシルエットがディーノの目に飛び込んできた。
頭の中が数秒間まっしろになった。ポカンと口を開けていたかもしれない。
「……悪ィな、ツナ。ちょっと離れていいか」
「もちろん」
不甲斐ない。声を絞り出すのが精一杯だったのに、未来のボンゴレのボスや女の子たちはにっこり笑って頷いてくれた。
「オレたちは獄寺君たちのとこにいますから、またあとで!」
「感謝する。またあとでな!」
礼を口にするのもそこそこに、ディーノは飛ぶように走り出した。
その人は、濃い緑が地面に濃い影を落とす大木の根元にもたれて眠っていた。
全身真っ黒だと思ったのは日陰のせいで、距離が縮まるにつれて半袖の白シャツからのぞく白く華奢な腕がはっきり見えてきた。
それにしても、なんて無防備な。
遮るものが何も見当たらない風通しのよすぎる場所で、まるで自分の寝室にいるかのように熟睡している──少なくとも見た目だけは。
足音を忍ばせて一歩ずつ慎重に近づいていく。
あともう少しで正面にたどり着く──寸前で呼び止められた。
「誰?」
「あーやっぱ気づかれたか。残念」
「あたりまえだろ」
ヒバリはうっすらと閉じていた目蓋を上げて、突然現れたディーノを睨みつけた。
まさかと思うが、本当に本気で眠っていたのだろうか。眠そうに開いた瞳は潤んで、目の縁がほんのりと赤くなっている。誰だと訊ねたくせに近寄ってくる人物が誰かはわかっていたようで、ヒバリの表情に驚いた様子はなかった。
(すっげイヤそーな顔してるけどな)
ヒバリが大喜びで迎えてくれるわけがないから、今さらがっかりしたり怯むディーノではなかったが、もうちょっとマシな顔をしろよと思ってしまう。
「……僕に何か用? 寝てたのが見えなかったの。うるさくて目が覚めてしまったよ」
「お前勝手に退院したんだってな。リボーンから聞いたぜ。どういうつもりだ」
「へえ、赤ん坊が僕の事情を知ってるなんてね。光栄だな」
思わずというふうにうっすらと笑顔を見せ、ところで眠いんだけど、消えてくれる、という辛辣な台詞が同じ口からすらすらと続く。怒鳴りつけないよう我慢するのはひどく骨が折れた。
「肋を三本持ってかれてて、他にも打撲傷は数えきれねーし、腕……最高13針縫ったって? 立派な怪我人がこんなトコでのんびり昼寝してんじゃねーよ。帰って寝ろ」
「わからないの? 赤ん坊といいあなたといい、よけいなお節介はやめろって言ってるんだよ」
咎めるつもりで声を低めて言ったのに、眉ひとつ動かさないどころか、からかうように唇を引き上げるところがいかにも彼らしい。猛特訓の間中、最初から最後までこの調子だったからずいぶん慣れたと思っていたのに、思わず苦笑いがこぼれそうになった。
入院初日に面会に行って追い出されたきりだから、ディーノとヒバリがこうして面と向かって顔を合わせるのは三日ぶりのことだ。たった三日。なのにヒバリの姿を直接見るとやはりホッとする。
指輪争奪戦でヒバリが負ったケガはひどいものだった。三日やそこらで完治するような軽いものではないのだが、医者を脅して無理やり病院を飛び出てきたのだとリボーンは言っていた。さらに同じクラスのボクシング部の話では、今日はめずらしく朝から真面目に授業に出ているかと思ったら、途中でまんまと具合を悪くしたらしく昼からはいつも通り行方不明になってしまったのだそうだ。
呆れてものが言えない──無茶をするにもほどがある。
「眠りが浅いのは体が参ってるからだろ。体力が回復してねえ証拠だ。なんでそんな無茶すんだよ。死ぬぞ」
「足音はともかく、あなたは気配自体がうるさすぎ。うざったい……」
「そーかよ悪かったな。行くのはいいが、お前も一緒に連れて帰るぜ。抵抗したら鞭で縛って荷物みたいに肩に担いでやる。重傷の怪我人がオレに敵うと思うなよ」
「バカじゃないの」
ディーノが語気を強めて宣言すると、竦み上がりそうな冷たい視線がまともにはね返ってきた。ほんの十日間とはいえ師匠として精一杯のことをしてやったつもりなのに、感謝する素振りすら見せてもらえないとは寂しいかぎりだ。
「ケガの方はどうだ。まだ痛むか?」
気を取り直して静かに訊ねると、ヒバリはしばらく黙り込んだあとに小さな声で答えた。
「そうでもない。もう痛み止めを使わなくても平気になった」
「……そうか。よかった」
ディーノは出かかったため息を寸前で飲み込んで、ヒバリの隣にドカッと腰を降ろした。あきらかに嘘だとわかったけれども、言って聞くような相手じゃない。
遠目に腕が白く見えたのはヒバリの肌色のせいではなく、カッターシャツの袖口から突き出る腕から手首までが、びっしりと包帯で覆われているからだ。シャツの下に隠れて見えない胸には、身動きできないくらいガチガチにコルセットがはめられているはずだ。それに顔色。ヒバリは元々色白なのだが、今はほとんど紙のような白さ──というより病的に青白い。
(あったりまえだろ……無茶しやがって)
足などの骨折と違い、ヒバリは肋骨を負傷している。肋骨はヒビの入った部分がくっつくまでコルセットで固めるくらいしか治療のしようがなく、日常の動作やちょっとした衝撃でもいつまでもだらだらと痛みが残る。ディーノにも同じような怪我の経験があるから、その苦しさはよくわかっている。平気そうにしているけれども、ヒバリは呼吸するどころかこうしてじっと座っているのも辛いに違いないのだ。
なのに──なぜ?
(なんでそこまでして、急いで退院したがるんだよ)
明日には帰国してしまうから──それまでに一度でも顔を見られたことは素直にうれしいのだが、どう見ても無理をしているヒバリをただ見ているだけというのはきつい。
「強がるのもいいが、完全に治るまでは絶対に無理はするなよ。それだけが心配なんだよなー。脳波に異常はねえってのは聞いたけど、肋は治るまでほっとくしかしょうがねえし、三本もいってりゃ完治するまでに半年はかかる。身体ができてねーのにそれ以上骨に負担をかけたら、今はよくても大人になってからが怖ェんだ。あとでどこに支障が出てくるかわかんねーからな」
心配……という言葉にありったけの思いを込めた。
伝わればいいし、伝わらなければそれでもかまわない。恨まれても嫌われてもいい。大事なのはヒバリが未来まで無事であることだ。
「明日、」
いきなりヒバリが声を大きくした。
驚いて隣を振り返ると小さな頭がわずかに動いて、ヒバリは両腕で自分の足を抱えるようにして揃えた膝頭に顎を乗せた。痛かったのか顔を歪めたが、声は上げなかった。
眠気を誘うゆるい風が、つやのある黒髪を巻き上げながら吹き抜けてゆく。
「明日──なんだ? 言ってみな」
あたりに人はいず、声もなく、音もなく、時間が止まってしまったようだった。
不自然に途切れた言葉の続きを知りたくて、我慢できなくなった。その反面、ここで急かしたらすべてが終わりだと経験が告げている。
全力で求めたら間違いなく逃げられてしまう──ヒバリはそういう子だ。
ヒバリはじっと口を噤んでいる。ふいに顔を上げ、おそるおそるというふうにディーノの顔をじっと覗き込んできた。
文句を言いたいような目ではなかった。もっと別の感情を訴えかけてくる。ディーノはハッとして、慌てて視線を逸らしてしまった。
「いいや、やめとく。言わなくていーから。それよりお前さっさと病院戻れよ。マジで顔色悪いって」
失敗した。ヒバリは表に顕しかけた感情をまたするりと隠してしまった。
「……よけいなお世話だって、さっき言ったよね。あなたには関係ない」
「ホンッと口の減らねーガキだな……」
ディーノは気の抜けた笑い声をもらした。
ぴりぴりしていたのが嘘のように、一瞬で肩から力が抜けていくのがわかる。
やわらかい髪に手を差し込んでかき回しても、ヒバリは逃げなかった。それに気をよくして腕を取って引き寄せると、少し躊躇したけれども身体を預けてくる。
鼓動とともに、ディーノの胸に相反するふたつの感情が込み上げる。
あたたかく満たされる愛おしさと、胸を締めつける苦しさと。どちらもがひどく生々しく激しく、でき上がってもいない子供にぶつけるのは躊躇われる思いだ。
「痛いか?」
少しずつ腕の力を強めながら訊いた。片手でつかめてしまいそうな小さな頭が何度か振られる。ヒバリは無言で大丈夫、かまわないと言っている。
顔を傾け長い前髪を指でかき分けて、黒髪の間からちらりとのぞく額にゆっくり唇をつける。ヒバリの髪の香りを強く意識すると、目の前がおそろしく揺れた。
(やべーな。持ってかれそうだ)
さっきまでとは意味合いのちがう──匂いたつような甘い衝動を感じる。息を飲み込むとびっくりするほど大きな音で喉が鳴った。
「オレは心配して言ってんだ。大人の言うことは素直に聞いておくもんだぜ」
あおくさい時代に戻ってしまったように、胸が高鳴るのを止められない。せめてヒバリに聞こえないようにと、肩に回した腕の力を少しだけゆるめた。
100メートルほど離れた場所では、ツナや山本たちが庭に放たれた犬のように走り回っている。賑やかな声が風に乗ってここまで届いていた。
(あいつら──恭弥がここにいるって知ってたんだな)
だとしたら思いきり感謝だ。あとで好きなモノを死ぬほど食わせてやろう。
抱き寄せた肩先から皮膚を伝って、トクン、トクンと音が響いてくる。
どこか懐かしく温かな旋律はヒバリの心臓の音だろうか。それとも自分のものなのか。耳を澄ませてみたがよくわからなかった。かすかな振動は頭上を流れるゆるやかな葉音と混じり合い、すぐに聞こえなくなった。
「恭弥……お前熱あんじゃねーのか。熱いぞ」
「…………うるさい。黙らないと眠れない」
口調はしっかりしているけれど、ヒバリの声にはあきらかに疲労が滲んでいる。それきり何を言っても答えてくれなくなった。
ディーノは心の中でやれやれ……とため息を吐いた。だから言わないことじゃない。無理をするからだ。
ヒバリの身体がどんどん熱を帯びてくるように感じる。犬か猫の子でも抱いているみたいだ。意識し出すとディーノの心臓が気持ち悪いくらいに踊り狂って、細い腕に添わせた手のひらの表面がうっすらと汗ばんできた。
「寝てもいいが、風が冷たくなるまでだぜ。車で送るから」
返事はなかった。
ディーノは少し迷ってから、体の脇に無造作に投げ出されたヒバリの手を取って握りしめた。指を絡ませるのはさすがにやめておいた。
ツナたちのはしゃぐ声がきれぎれに聞こえている。午後の公園はやたらと明るく、どこもかしこも青々と茂る緑がいっぱいで目が痛い。
ヒバリはじっとしたまま動かない。
気づくと、かわいそうなほど固まっていた肩の力がいつのまにか抜けていた。やっと眠ってくれたようだった。
「青葉の木の下でうたた寝を」
身長差があるので、ディーノの肩はヒバリのうたた寝用にはもってこい。楽々♪