あなたの中の僕

 指定されたホテルに着くと、呼び出した相手は不在だった。ごめん、と一言簡単な電話をもらっていたのにそのまま出向いたのは、今日は彼に会うほかに急ぐ用事が特になかったからだ。僕が来たら部屋に通しておけと言い残していってくれたらしく、ロビーにたむろするものものしい黒服の群れのひとりが僕を見つけて最上階まで連れていってくれた。
「あと1時間くらいで戻ってくるから、しばらく待っててくれって、ボスからの伝言だ。頼むから帰ってくれるなよ? オレたちが恨まれる」
「どうしようかな。待つのは得意じゃないんだ」
「恭弥〜。そーいうつれないコトを言うなって! 頼むぜ!」
 少し意地悪を言うと、案内してくれた部下は心底弱ったように情けない声を上げた。
 いい大人が子供相手に飲み物はいるか、腹は減ってないかとかいがいしく世話を焼くのは、相手が僕だからというのではなく、僕がボスの大事な客人だからだ。彼は部下にとても愛されているから。時々無性にむかつくくらいに。
 無人のスイートはひどく閑散としていた。やりすぎなほど豪華な内装や調度品は以前来た時となんら変わりはないのに、ただ彼がそこにいないだけで部屋は生気を失ったかのようにしんと静まり返っていた。いつもであれば、必ず僕が来るのをここで待ちかまえているはずのひとがいない。絶対的に何かが足りない──あるはずのない心臓がごっそり抜き取られている感じがする。
 とりあえずどこかに腰を落ち着けようと、ソファに向かった。チェストの前を横切る時に、上に飾られているものに目が留まった。シンプルな銀製のフォトフレーム。キャビネ判が入る程度の。
「あ」
「なに」
「や、べつに! 何でもねえって!」
 部下が慌ててぶんぶんと首を振る。あきらかにまずいものを見つけられた風情だ。かまわずフレームを手に取る。ずっしりと重い。
「ふうん……なるほどね」
 ひと目見て、部下の挙動不審な態度に納得がいった。
「これ……絶対に飾るなっていってあったのに」
 中の写真には見覚えがあった。つい先日、いやがる僕をなだめすかしてディーノ自身がシャッターを切ったものだ。一ヶ月くらい前のことだったか。その時の彼とのやり取りを鮮明に憶えている。あの日はとても日射しが強く、手を翳していないと目を開けていられないくらいの晴天だった。暇を持て余したあげく僕をベランダに誘い、彼はどこからか取り出したカメラを僕に向けてきたのだった。やめろと言ってもきかなくて、そのうち埒のあかない押し問答が面倒になった僕は黙って彼の好きにさせた。時間にすれば三十分くらいか、即席カメラマンになりきった彼は嬉々としてシャッターを切り続けた。
「恭弥は写真嫌いなんだってな。すげーこわい顔で写ってる」
 窺うように僕を見ながら部下が言う。結論から言えば、ひとつは全くその通りで、ひとつは全く間違いだった。
 他人から見れば、向けられたレンズから完全に視線を外してそっぽを向く被写体が喜んでカメラに収まっているようには見えないだろう。それどころか怒っているようにさえ。そうでなくても無機質の目に見つめられるのは好きではないのだ、撮られている間中、決していい気分ではいられなかった。
 けれど──ほかの誰にわからなくても、自分で見ればいやでもわかる。写真の中の僕は確かに笑っている。
 好きだ、かわいい、こっち向けよと、散々言い尽くした文句を飽きずに繰り返し、何のひねりもなくひたすら情熱的に口説いてくるひとに本気で呆れはてて、つい笑わされてしまったのだ。その無防備な僕を彼だけが見ていた。
 彼がこの一枚を大切にフレームに収める姿を想像してみた。
 何のために僕の写真を欲しがるのかが、その時はさっぱり理解できなかった。今でも、彼の気持ちがとてもよくわかるとは言い難いけれど──。
 誰もいないこの部屋で、彼がふと振り返った時に。
 たとえば今、僕が感じているささやかな孤独のように。
 この部屋でたったひとりで過ごす夜に、彼はこの一枚の写真を目にして僕を思うだろう。
 その時、あなたの中に宿る僕があなたをひとりにさせないのだとしたら。
「なー恭弥」
 事の成り行きを固唾を飲んで見守っていたらしい彼の部下が、こわごわ声をかけてきた。
「その写真、ボスがすげー気に入ってんだから取り上げてくれるなよ? 大目にみてやってくれな」
「それも、どうしようかな──」
 写真を抜き取ろうとフレームを裏返した瞬間、ポケットの中で携帯電話が歌い出した。
「もしもし?」
 ──恭弥! 待たせてごめんな!
「……そうだね。待ちくたびれたよ」
 ──だからごめんって。あと10分で着くから。ぜってー帰んなよ!?
「それはともかく、本当にあなたは悪運が強いよね。そういうトコ、すごくむかつくんだけど」
 後ろで部下がほっと息を吐くけはいがする。
 ──え? なに? 何を怒ってんだよ?
 かわいそうに、意味がわからないディーノは電話の向こうで盛大に疑問符を飛ばしている。僕はため息をついて、写真をそっとチェストに戻した。
 まったく、絆されすぎにもほどがある。

「そんなオフィシャル設定はどこにもない」と言われようと、ヒバリは動物好きだと信じて疑ってません。
黄色くてちっこい鳥とかもすきだけど、大きくて黄色くて愛情全開のわんこだってど真ん中ストライクに違いないと思うのです。(だいなし)