ディーノが武器として鞭を扱うようになったのは偶然にすぎない。
 師匠であるリボーンに言わせれば必然なのだが、気がついたら持たされていたというか勝手に決められていたというか、自分の意思でそれを選び取ったという実感は薄かった。だからなぜ武器が鞭なのと訊かれても答えようがない、というのが正直な気持ちだ。



 にわか仕立ての師匠と弟子が並中の屋上で対面したのは、これで二度目だ。
 会ったのは昨日が初めて。手合わせも同じく。そこそこ立てなくなるくらいまでかまってやって、気が向いたら明日も来いと言い置いて、ディーノは屋上を後にした。
 翌日。気が向いたらなどとのんびり構えていないで迎えに行った方がいいという部下の忠告を黙殺して屋上で待機していたディーノの前に、その子供は姿を現した。
 チャンスがあるうちに借りを返しに来たのだと言う。曰く「行方をくらまされてからじゃ遅いから」。それについては煮え湯を飲まされた苦い経験があるらしい。
 二回目の顔合わせは、最初のそれよりはいくらか穏やかに進んだ。勝手に弟子認定した中学生はあいかわらず愛想の欠片もない態度だったが、気さくに挨拶してくる相手にいきなり仕掛けてくるようなはしたない真似はしなかった。いつでも攻撃できるようにトンファーを握ったまま、距離を空けてとりあえず黙ってじっとこちらを見上げてくる。ディーノはロマーリオに命じて必要な用意をさせるあいだに、昨日の話の続きをすることにした。
「ちゃんとここに現れたってことは、少しはその指輪に興味が沸いたってことだと思っていいな。恭弥が素直な子でよかったぜ」
「べつに。知りたいことがあったから来ただけだよ」
「知りたいこと?」
「あなたの使ってるそれ。見せてよ」
 ディーノの軽口を鼻で笑い、ヒバリは横柄に顎で『それ』を示した。ディーノが自分の手の中を見下ろす。確かめるまでもないが、そこには愛用の武器が握られている。
「見せるくらいかまわねえが、指輪の話を先に聞いておけよ。騙してるみたいで気分が悪いつったろ」
「それはあの赤ん坊とあなたの都合だろ。僕には関係ないし、興味もない」
 めずらしい武器に興味を引かれただけだと。
 それ以外の話はこれっぽっちも聞く気がないのだと、わざわざ付け加えるのを忘れないところが。
「……っ、ホントかわいくねえ……っ」
「いいからそれ、見せて。鞭」
「しつけなってねーな。それがひとにものを頼む態度かよ」
 ヒバリがちらりとも表情を変えずに手を差し出しす。ここでもめても話が進まないのでしかたなく渡してやると、ヒバリはディーノ専用の鞭を手に取ってしばらく興味深く眺めていた。
「ねえ。あなたはどうして武器に鞭を選んだの」
 唐突に顔を上げ、ヒバリが正面からディーノを見上げた。容姿の美醜の問題ではなく、彼はほんとうにきれいだった。突きささるような鋭い光を放つヒバリの瞳には、まっすぐで迷いのない強靱な意思が宿っている。それは闘う者にとって必要不可欠な第一条件であり、リボーンの選択は正しいのだとあらためて感じた。雲雀恭弥はマフィアになるべくして生まれてきた子供なのだ。
「雲のリングってのはボンゴレファミリーに代々伝わる、大事な指輪なんだ」
「その話なら聞かないって言っただろ。ところでこの武器で相手に致命傷を与えるには、どうするのがいちばん効果的なの。刃物でも飛び道具でもない武器で相手にとどめを刺せるの。どうやって」
「おまえなあ」
 抑揚のない声で、自分の訊きたいことだけを簡潔に反芻する。こちらの言うことは気が向かなければすべて無視する。愛想は皆無、言葉はきつい、態度は超でかい。ヒバリは話に聞いていた通りに扱いが厄介だった。噂以上に子供らしくない。思わず頭をひっぱたきたくなる。
「せっかちなのはまあいいとして、質問内容がことごとく物騒なのはどうなんだ。恭弥ってホントにツナとひとつしか違わないのか? 見た目はかわいいけど、年サバ読んでんじゃねえのか」
「よけいなことは言わなくていいよ。あなたは僕が聞いたことに答えるだけでいい」
 なぜかはわからないが、現在ヒバリの心を深く捉えているのは、ディーノが武器として鞭を選んだ理由らしかった。ディーノが答えないでいると、返答を急かす「答えなよ、早く」という台詞にわずかな苛立ちが混じる。ヒバリはすべてにおいて無反応というわけでもないらしい。気に入らないことをされたり、させられたりするのはいやなのだ。
 興味を持ったら素直に質問する。望んだ答えが即座に返ってこないと不満を露わにして、満足するまであきらめない。それこそこちらの都合などおかまいなしに。
(前言撤回。要するにそのまんまガキのすること……じゃねえか)
 その点を非難したくてたまらないのは矛盾している。
 ヒバリの年齢からすれば、そういう身勝手な部分があってもなんら不思議はないし、戦闘時にしか感情を表に出さないよう厳しく育てられた生え抜きのマフィアベビーたちよりは、むしろこの方がよほど自然だ。
 なのになぜか無性に勘に障る。
「聞いてるの。なんで鞭を」
 どうしてこんなに意地の悪い気分になるのかが、わからない。
「恭弥がオレの質問に答えたら、答えてやってもいいぜ」
 わざと軽い口調で言うと、はっきりと、ヒバリの闘争心に火が点いたのがわかった。沸点の低さと負けん気でヒバリの右に出る者はいないという噂は本当だった。ディーノは構わず続けた。
「お前はどうしてそこまで鞭にこだわる? お前はオレと闘ってどう感じた。やりにくかったか。それともまさか、本気でオレを伸せると思ってここに来たのか? だとしたら残念だが、今回はリボーンの見込み違いだな。お前は今以上に強くはなれねえ」
 ディーノが詰め寄るとヒバリはわずかに口ごもった。手に持った鞭をじっと見つめ、しばらく逡巡してから言葉をつなげる。
「……昨日闘った時、これにかなり手こずらされた。今まで得物を持った相手とやり合ったことは何度かあったけど、その中に鞭使いはいなかったしね。それにトンファーの間合いが不利かもしれないと思わされたのも初めてだ。あなたは昨日、今日のところは互角だって言ったけど……そっちがへばってるようには見えなかった。互角にやり合えたと感じた瞬間も、そんなには、ないよ」
「しおらしいな。どういう心境の変化だ」
「鞭使いと闘ったのは初めてだって言ったよね」
「それで?」
「…………あなたをぐちゃぐちゃにしてやらないと気が済まない。絶対に逃がさないって、思ったから、ここに来た」
 今度はディーノのほうが絶句する番だった。
「思ってたより直球だな……。うっかり告られてる気分だ」
「なにそれ。あまりふざけすぎると、ほんとうに痛い目をみるよ」
「そう怒るな。恭弥からその台詞を聞けただけでも、わざわざイタリアから出かけてきた甲斐があったって、喜んでるんだぜオレは」
「どういう意味」
「今にわかる」
 当たらずとも遠からずというところか。ヒバリはそうと意識していなくとも、もう一度会いたいと思わせたのなら同じことだ。
 ディーノはヒバリの手から愛用の武器を取り返した。一歩身を引きながら柄を短く持ち替えて軽く振るうと、鞭はまるでディーノの三本目の腕のようにしなやかに伸びて後方の壁に当たり、ものすごい勢いで跳ね返った。細い鞭が油断していたひとを襲い、両手首を瞬く間に絡めとる。手のひらにヒバリの抵抗を感じると、胸にじわじわと押し寄せるものがあった。
 それが何なのかは考えるまでもない。確かな手応えが答えを教えている。
「いいさ、リングのことはひとまずおいといてやる。もうわかってるんだろ。きっかけはどうあれ、オレと闘ったらお前は今よりも確実に強くなれるってことだ。こんなに便利で都合のいい道具をみすみす手放すなんて、バカのやることだぜ?」
 ニヤリと笑って見せつけるように鞭を軽く引くと、ヒバリはムッとしたようだった。きつい眼差しで、黒皮が巻きついた自分の手首とディーノの顔を交互に見比べる。
「なにこれは。なんの真似?」
「見りゃわかるだろ。宣戦布告だ。つうか何度も同じ手を食うのはいただけねえな。度胸と技術はそこそこ身に付いてるが、実戦経験が足りなすぎる証拠だ」
 あやしげな痕がつかない程度に加減して締めつけると、それでも痛いのか、ヒバリがほんの少し顔を歪ませる。ディーノの胸がどきりと鳴った。
 ヒバリが不審げに眉を寄せる、けれども一方で、その瞳には余裕の表情が浮かんでいる。相手がなにもしないとわかっている目だ。高をくくっている。
「それから、──ついでに」
 背後の配水管にひっかけた鞭はまっすぐヒバリの手首へと伸び、最後はディーノの手中に収まっている。ディーノは空中を縦断するありえない黒線をゆっくりと目で辿った。
「食っちまおうかと思って、恭弥を」
「はあ?」
「恭弥は縛られる趣味はなかったか。残念だな、得意なんだが」
 ディーノがそう言うと、ヒバリは一瞬ぽかんとして、すぐに険しい表情に戻した。ディーノは心の中で舌打ちした。わかったフリをするつもりなのだ。お子様が。
「言ってる意味がわかんねえってか。……つうか、それはいいが、そこまでわかりやすい顔すんなよ。いじめたくなる」
「頭の悪いコトばかり言わないでくれる。それにあなたはまだ、こっちの質問に答えてない」
「オレに勝ったらいくらでも教えてやるよ。つってもそう簡単にオレは倒せねえから、たっぷり時間をかけるつもりで、安心して全力で来な」
「嘘をつく人間は最低だね。気にいらないな。つぶされたいの」
「ほらそういうトコ。簡単に挑発に乗っちまうとこがイマイチ不安なんだよな」
 物足りないと感じたのは錯覚だった。違う、都合のいい言い訳だ。こんな子供に揺さぶられている自分を認めたくないだけだ。
 有名な童話に教訓がある。
 やさしい保護者に扮したオオカミが主人公の子羊をたらしこんで、頭からぱくりとやる。そして最後は必ず、かしこい子供の逆襲に遭うのだ。欲深いケダモノの末路に例外はない。
「とりあえず離してくれる、これ、今すぐほどいて。でないとあとで後悔することになるよ」
「ハッタリはいい。オレがこれからお前を送り込もうとしてるのは戦場だ。ピクニック気分でなめてかかると痛い目みるぞ」
 ディーノは気丈に咬みついてくるヒバリをきつい一言で黙らせた。
 死なせたくない。無事に、生きてここへ戻ってこい。ディーノは本心からそう願った。この子供には他にもじっくり教え込んでやりたい。知りたいことも山ほどある。リング争奪戦ごときであっさりいなくなられては困るのだ。
「鞭にはトンファーの届かない距離だけじゃなく、こんな近い間合いもあるんだぜ。他のすべての武器も然りだ。使い手や使い方によって威力も間合いも予想外に変化する。ヴァリアーの連中の武器は多彩だし、使う者の能力もズバ抜けてる。相手の見た目や武器の基本性能だけで判断するな。敵を見ずに思い込みと自分の技術だけで叩きのめそうとするなって、昨日教えたろ?」
 ヒバリの体がガクンと前に倒れ込む。ディーノがまた少し鞭をたぐり寄せたせいだ。ヒバリは悔しさを隠さない顔で唇を噛んだ。
「そうだったね。今度こそ……あなたにだけは油断しない……っ」
「そうしろ、次があればな」
「あっ…………」
 長年使い慣れた武器はディーノの力加減ひとつで、まるで自分の手足のように自在に動く。足を踏ん張って懸命に耐えているけれど、体重の軽いヒバリがコンクリートの床に膝をつくのは時間の問題だった。鞭という道具は殺傷能力こそ刃物や銃ほどではないが、必要な場合に不必要な傷をつけずに相手の自由を奪うことができる。
 つまり特にこういう使い方をするには、あまりにも都合よくできている。
 このまま距離を詰めるか、拘束を解くか。強引に奪うか、冗談ですませて解放するか。瞬時には選べない。迷っている。一瞬でも迷った時点で、すでに未来は見えた気がする。
(恨むぜリボーン。……いろんな意味で)
 自分でこの道具を選んだわけじゃない。ヒバリの面倒を見るように言われたのも一方的に、だった。どちらも受動だ。そこは確かに気に入らない。挑戦的に睨みつけてくるときのヒバリの視線はかなり気に入っている。おかしな話だ。いちばんかわいくない顔なのに。
「何を考えてるのかは知らないけど、ぼうっとしてないで早くほどいて」
「ちょっと待ってな。今、大事な相手に感謝の言葉を述べてるとこだ」
「なんだって?」
「おし。んじゃ始めるか」
 きっかけを与えてくれた食えない師匠に心からの感謝を。だが、目の前に開けた危ない橋を渡ることを選んだのは自分だ。
 胸の中で十字を切り終え、ディーノは愛用の武器を握り直した。本気の力で引くと、目標を完全に捉えた感触がてのひらに伝わってきた。背筋がゾクゾクする。ヒバリの固く強ばった表情を見ていると、自然に口の端が上がっていくのがわかった。
 事実、ディーノは晴れやかな気分でにっこりした。
「ここからが本番だぜ。──泣くなよ?」
 たぶんやさしくはしてやれないから。

あくまでも特訓と言い張るボス。なにをしようとしているのボス!
鞭の使い方が間違ってるという以前に、お題の解釈がそもそも間違ってるんじゃ?