応接室

 『応接室』と書かれたプレートを掲げる一室の、黒い革張りの豪華なソファセットの上で、しかも真っ昼間に男二人でどんな会話をしているんだか。
 人払いよし。施錠オッケー。備品も完璧。シャワーは空港のそばのホテルで済ませてきた。その足でクーラーをガンガンに効かせたリムジンに飛び乗ってきたから、見事に汗ひとつかいてない。今は夏だが、事後にやさしくかけてやる毛布がないのは気になる。この子実は風邪を引きやすいんだよな。
 じりじりじりじりじりじりじり。
 ソファの中央と左端とに分かれて腰掛けて、ちょっとずつにじり寄ってみたりする。真ん中に座ってるのはもちろん恭弥だ。

「なあって恭弥。おまえさっきから、なんでそんなに機嫌悪いんだ」
「さあね。自分の胸に聞いてみれば」

 オレのかわいい小鳥ちゃんはいかめしい風紀日誌から目も上げないで、そんなつれないコトを言う。取り付く島もない。なんつー根性持ちなんだヒバリ。飛びかかってソファに押し倒しても平気で読み続けているとは。

「なーなーしてーよ。していい?」
「やだよ」
「そんなかわいい顔でヤダって言われても」
「咬むよ」

 大切な思い出の場所で、ここまでキッパリハッキリ拒絶されると、マジでへこむ。
 ここは、オレとヒバリが初めて対面した場所だ。
 正確にはそれ以前に姿を見かけたことはあったが、互いに互いがどんな奴かをはっきり認識したという意味では、間違いなくここでの出会いがすべての始まりだったと思う。
 初対面の挨拶は「誰?」だった。次に吐かれた言葉は「咬み殺す」。
 なんてこった、さすがは噂の問題児だと、じゃじゃ馬馴らしの血が騒いだ。
 それから、野性の黒豹(未来予想図。現在は猫)の調教に明け暮れた10日間。その間のオレときたら、まるで初めてデートした相手に夢中になるティーンネイジャーみたいだった。昼も夜も毎日この部屋に通い詰めて、屋上へと連れ出し、恭弥をこっちの世界に誘い込むことに熱中した。

 楽しかった。

「あれからどれくらい経ったんだっけ。もうすっかり夏だよなー」
「……あのさあ。ヒトの上に跨ってひとりごと言うの、やめてくれない?」

 あきらかに迷惑そうに眉を顰める小鳥ちゃん。
 この部屋は校庭に面してるから、窓を全開にしていると気持ちいい風と一緒に生徒たちの声が流れ込んでくる。白っぽいカーテンがひらひらと揺れている。そのむこうに夏らしいazzurroが広がってる。初めて見た日本の空は切り出したばかりの岩石のようなardesia。恭弥と会った頃は透明な鉱石を思い起こさせる青だった。
 ボンゴレファミリーの結束に一役買ったしばらく後に、オレが最初に恭弥に手を出したのもここでだった。あの時はオレなりにかなり真剣に、前のめりになって懸命に口説いた気がする。凶悪な仕返しを覚悟して挑んだつもりが、恭弥はなぜか思ったほど抵抗しなくて、まさかここでコトに及ぶとは思ってなかったから、準備不足でえらく慌てたんだっけ。その上意地っ張りの恭弥がオレの下で必死で声を噛み殺して、切羽詰まった顔でしがみついたりするもんだから、こっちも抑えがきかなくて……かなり辛い目に遭わせたような。危うく入院騒ぎになるとこだったんじゃなかったか。
 痩せて突き出た肩骨と、抉れた白い腹。ねじり上げたら折れそうな手首。子供特有の寸足らずのボディからアンバランスに長い手足が生えていた。穿つたびに細い腰が震えて今にも壊れそうだった。
 最初の行為のあいだ中、恭弥は一度も声を上げなかった。そのまま、うめき声ひとつもらさないで失神した。慌てて抱き上げるとすぐに目を覚まして、青ざめた顔で、
『かまわない。こんなのは、苦痛のうちに入らない』って、言ったんだ。

「うっわ……なんかすげー、いろいろ思い出しちまった……」

 ひとりで浮いたり沈んだりしてるオレを、漆黒の双眸がじろりと睨め付ける。

「ねえ。やる気ないなら、そこどいて。重い」
「あ? あれ、恭……」

 下からぐいっと押しのけられて、ソファの上から、というより恭弥の上から蹴り落とされそうになった。邪魔な日誌はいつの間にか恭弥の手から離れて床に転がっていた。体重をかけないように気をつけながら、もう一度身体を重ねると、

「それじゃホントに落ちるよ。間抜けだろ」

 代わりに細い腕が素早く肩に回されていることに気づく。遅すぎだろオレよ。

「つうかな。急にむこうから呼び出しかかって、帰った途端にややこしい調停の話を持って来られて、迎えのジェットでブラジルに飛んで、そのままセキュリティのきつい施設にカンヅメだぜ。事が済むまでそこで三日も足止め食らって、その間は頼みの衛星電波まで完全シャットアウトだ。まいったなんてもんじゃねーって」
「……」
「だから電話もできなかった。すまん」

 黙っていなくなって、ホントにごめんな、と謝罪の言葉を口にすると、恭弥は何とも言えない表情で一瞬黙り込んだ。

「別に、あなたが勝手に消えたから怒ってるんじゃないよ」

 じゃあおまえは、何にそんなに傷ついた? 迷子の子犬みたいな顔してるぜ。
 言ってみな。できることはなんでもしてやるよ。

「昨日の昼間、夢見た……ここで、一緒に昼寝してる夢。でも、起きたら、いなかった……誰も、」
「…………」
「名前を」

 恭弥はふわりと目蓋を閉じて、黒い髪が額にかかって、夢でもみてるみたいにぼんやりと口を開く。声は消え入るほど弱くはないのに、強弱の定まらない音程が不安を誘う。ちゃんと触れていてもどこか頼りない。これは夢かと思うくらいに。

「眠りながら呼んでたのかもね。自分の声で目が覚めたからびっくりした。起きたら誰もいなかったから、もっとびっくりした」
「恭弥……」

 なんて言ったら、いいのか。言葉が浮かんでこなかった。

「目が覚めた時に、いると思ってた人がいないって、なんか不思議な感じ。物足りないっていうか……強烈だから、あなたは」
「あーその時オレはたぶん機上の人だよな。すまん。恭弥の声、聞こえてなかった」
「うんざりするね。ムカツクよ。潰したい」
「それって」

 夢の中にオレを呼んだ。オレがいない間、ちょっとはオレのことを思い出してた。
『オレを好きすぎる自分に呆れた』

 ……って、言ってるよーに、聞こえるんですけど。
 それってたぶんじゃなく、オレの願望&希望的観測なんだろーな。このひねくれ猫はそんなこと一言も言っちゃいねーし。
 夢見がちなマフィアのボスなんて笑えねえ。
 それでも我慢できないほどうれしいんだから、しょうがねー。

「これからしばらくはこっちにいるから、またここでいっぱいしようなー」
「な……っ! バ……っ!」

 カアッと顔色を変える恭弥の頭をぎゅうっと抱き込んで顔を近づけると、華奢な身体が少しだけ跳ねて動いて、腹を膝で蹴られて、だがオレは恭弥がおとなしくなるのを、大人になるのをゆっくり待ってなんかいられねーから。
 大事な人との再会を祝って、噛みつくみたいなキスをした。
 恭弥の気配が満ちるこの部屋で。

密室にちょうど具合のいいソファがあったら、まあ大概はこんなことに。バカップルなので。