刺青

 体に刺青を入れているやつなど、最低に頭の悪い部類の人間だと思っていた。

 僕は汚い言葉遣いが嫌いだ。
 他人に血を流させるのは大好きだけど、自分の体を自分で傷つけるのはまっぴらだ。
 だからピアスは大嫌いだし、刺青はもっと嫌いだ。派手な服装にしろ粗暴な言動にしろ、他人を無駄に威嚇したり不必要に自分を飾り立てるやつは総じて弱い。それは風紀委員として並盛中に君臨するずっと以前からわかっていた。
「で、あなたはいったい、どれだけ彫れば気が済むわけ?」
 だからキャバッローネファミリーの10代目を前にして僕が呆れ返るのは、至極当然の反応だった。なぜなら彼はほんの二週間前に日本を離れて、彼のファミリーの本拠地であるイタリアで些細な用事を済ませ、そのついでに新たなタトゥーを体に刻み込んでここに戻ってきたからだ。
「僕は刺青嫌いだって言わなかったっけ。もしかしてあなた、頭悪い?」
 思い切り軽蔑の意味を込めて横目で睨む。けれどもうれしそうにキッチンに立って、手ずからコーヒーなんかを入れているマフィアのボスは、僕の意見なんかひとつも聞いちゃいなかった。
 アイボリーからホワイトのカラーリングでまとめられた広いカウンターの奥で、引き締まった背中が行ったり来たりしている。ひさしぶりに会ったディーノは、ついさっきベッドから起き上がったそのまま、下だけをゆったりした部屋着で包んでかいがいしく立ち働いている。彼が動くたびにちらちらと見え隠れする、左の肩から手の甲までのほとんどを埋め尽くす、のびやかで繊細でいて、おそろしく大胆な模様たち。それらは絵というよりオーラのようだ。
「ひでーな」
 けらけらと声を上げて笑って、淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぐと、ディーノは銀のトレイにそれを乗せていそいそとベッドサイドまで運んできた。
 ほら、と顎をしゃくって、立ったままマグを差し出す。僕が受け取ると、トレイをサイドボードに静かに置いてから、ベッドの空いている所にどさっと腰を降ろした。
「さすがに時間なくて、まだ筋彫りなんだけどな。こっちに来るまでに仕上げたかったんだが、二週間じゃやっぱ無理だった。けどこのまま色は入れずに、モノトーンのグラデーションにしようかと思ってる。そのほうが 'らしい' だろ?」
 ディーノは心持ち丸めた背中をこちらに向けて、ひとりで得意げにそんなことを話している。
 僕は返事をせずに、視線を落として、先ほどまでよりうんと近くで彼の身体に刻まれた様々な図案の細部を眺めた。
 火と太陽をメインモティーフに、肘から下を覆うのは激しく燃えさかる炎を背負う跳ね馬と鋭い棘を持つ鉄線、首には黒髑髏。柄と柄の隙間を埋めるように散りばめられた、技巧を凝らした大小のトライバル。世界でも屈指の有名刺青師を専属で抱えているというだけあって、素人目にもディーノの彫り物は意匠も技術も超一流、その芸術性の高さには目を瞠るものがある。そして今、なによりも僕の目を引くのは、びっしりと模様で埋め尽くされた左半身から腰へと続く、見慣れない真新しい線状の鳥。まだ色も入っていない途中段階なのに、すばらしい仕上がりが目に見えるような存在感を放っている。
 ボディアートとしてもハッタリの意味でも十分すぎる自慢の刺青が、実は僕をひどく苛立たせているだなんて、この人は夢にも思っていないだろう。
「なにが、らしいって?」
 不機嫌が声にまともに出ていたんだろう、ディーノはやれやれというように小さく肩を竦めて振り返ると、宥めるような目で僕を見た。
「反応メチャクチャ悪いなー。この図案嫌いか? オレはかなり気に入ってんだぜ」
「好きでも嫌いでもない。興味ない」
 それよりも、ちょっと自宅に戻ったら模様を増やして帰ってくるコトのほうがやってられない。ひそかな気に入りだった無傷の腰に無粋な鳥が描かれているのを見つけた時は、本気で殺そうかと思った。
 上から馬乗りになって、両手でじわじわ首を絞めながら言ってやりたい。
 ──知らなかった? 僕はあなたの刺青が大嫌いなんだ。
「知ってたか? 刺青ってのは、実は腰骨の上に入れんのが一番痛えんだ。なんでかは知らねーけど。ここをクリアできたらあとは尻だろうが足の裏だろうが、全身どこにだって入れられるぜ。特に筋彫りの時のあの、じりじりーっつうかがりがりーっつう感じったらホント、独特なもんがあるな」
「バカじゃないの。入れなくていいよ、足の裏。見えないし」
「はは。そりゃそうだ」
 僕の投げ捨てるような態度もなんのその、全開の笑顔が僕に向けられ、線画だけの鳥はいびつに捻れた。嘴らしき部分がゆるやかに斜めに歪むと、絵の中の鳥が笑っているように見える。
 堂々とそんなところに、僕よりも近くにいるなんてふざけてる。抉り取ってやろうか。
「恭弥の色はneroだからな。しかもveroだ。俺はこれから体にコイツと黒しか入れねえって言ったら、彫師がなんて言ったと思う?」
「死んでこい」
「お前じゃあるまいし」
 ディーノの明るい声が響いた。さらりと腕が伸ばされ、避けるより早く肩を抱き込まれた。素裸の胸に頬を押しつけられると、自分の吐く息がまともに跳ね返ってきて息苦しい。
「こぼれる。コーヒー」
「そいつはいい考えだ。翼を持ついきものは奔放だから、勝手に飛んで行かないように自分の肌に刻んでおくのがいいってよ。それから忘れずに、そいつにも俺のだって印をしっかりつけとけって」
「僕にもあなたと同じ馬の刺青をしろなんてフザケたことを言ったら、ホントに咬み殺すよ」
「まさか」
 そう言って、ディーノは僕の手からマグカップを取り上げる。悪戯っぽく笑いながら。
「こんなきれいな体に針を突き立てるわけにはいかねえだろ。それにそんなコトしなくても、別のものを別の場所に刻めばすむコトだしな。目に見える形は残らなくても、おまえはぜってー俺のことを憶えてるよな?」
「どうだか……」
「会いたかった、だろ? 恭弥が一晩中やらせてくれたの初めてだもんなー」
「さあね」
 生返事しながら腰骨の真上に刻まれた筋状の瘡蓋を指で撫でていると、治りかけの傷口に触れられてくすぐったいのか、ディーノはめずらしく乱暴に僕の首に歯を立ててきた。ディーノが動くと、偽物の鳥が僕の指先をざわざわと刺激する。変な感じだった。
「どーだ。そのモティーフ、やっぱ気に入ったか?」
「まあね」
 そんなことがあるわけがない。ああでも、悔しいけど、ひとつだけはこの人の言う通りだ。いつだって僕はむさぼり喰うように蹂躙されて、空腹を満たすみたいにすみずみまで食い尽されるんだ。はじめての時からずっとそう。少しの間離れていたくらいで簡単に忘れられるわけがなかった。
「かわいいね、この鳥。咬んでもいい?」
「お好きなように、お姫様」
「……言ったね」
 知らないよ。僕は招かれざる客には容赦しない主義なんだ。目障りな、か弱い小鳥の頭くらいは食いちぎってしまうかもね。

 ターゲットは絞られた。ほうら、牙が疼いてたまらなくなってきた。

このあと雲雀がヒバリに一発、ガブリとやります。泣くほど痛いらしいですよ。しかもダサいんじゃないか鳥モティーフ。だいじょぶか。
それはそうと、どなたかわたしに伊語を教えてプリーズ。毎度冷や汗ものですよホント。