真夜中の駅は信じられないほど混雑していた。
並んで切符を買うのも一苦労で、しかも本国でも電車など乗りつけない外国人には切符の自動販売機の仕組みがイマイチわからず、目的地までの二人分の切符を買うのにかなり時間がかかってしまった。後ろに並んでいた女性が親切なひとでなかったら、渋滞してもいいからやっぱり車で行こうと言い出していたところだ。
「大晦日は道が混むから、初詣に行きたいなら車より電車のほうが絶対にいい」とのアドバイスをくれたのは、地元で生まれ育って15年の土地っ子だ。せっかくだから初詣に行ってみたいという希望を鼻で笑われるかと思ったら、意外にも大晦日はヒマだから案内してやってもいいという返事をもらった。前日の晩に電話で時間を決めて、夜中に待ち合わせて駅へ向かった。今はディーノが切符を買って戻るのを改札の片隅でおとなしく待っている。振り返るとそばを離れたときと同じ位置にいて、どことなく所在なげに人の流れを見つめていた。
ディーノはやがて吐き出された二枚の切符をつかむと、助けてくれた女性に礼を言って列を離れた。待ち人の元へすぐには駆け寄らずに、改札の正面の広い出入り口まで歩く。俯いてはいない、でもわざとかこちらにまったく視線を向けようとしないひとを遠くから眺めてみたくなった。しかしときどき気になって歩きながら背後を振り返る、まだこちらの様子には気づいていなくてホッとする、急いで改札に駆け込もうとするひととぶつかりそうになる、というのをくり返した。開け放たれた出入り口の扉にようやくたどりつき、ガラス戸を背にしてもたれかかると、はじめの位置を一歩も動いていないひとはすぐに見つかった。これだけ大勢のひとが縦横に行き交っているのにあの姿を見失わないのは、離れていてもしょっちゅう夢で会っているせいだろうか。
何を考えているんだろう。あの子供は。
先生に対する尊敬どころか愛想のかけらも持ち合わせていないのに、へんなところで協力的だ。こんな時間から一緒に出かけるのは何とも思っていないようだ。修行の旅にも黙ってついてきた。よく思い出してみると、ヒバリは自分が興味を持っている赤ん坊の知り合い、という以外にディーノの素性を何一つ訊ねようとしない。そもそもそこがおかしい。大きな戦闘で傷ついたとき痛い顔ひとつ見せなかった。その戦闘に送り出す前の晩に、敵がどんなに強大であるかを告げてもまったく平然としていた。ディーノがヒバリのことを「変わった子供だ」と感じる所以はありとあらゆる点にある。ヒバリは普通の子供じゃない。顔を合わせるたびに何度も繰り返し感じている。ヒバリはふつうのこどもじゃない。
もうすぐ電車がホームに入ってくる。混雑とざわめきの中でも、到着のアナウンスは驚くほどよく響いた。音からすると、目的地に向かうほうじゃないだろうか。ディーノは慌てて歩き出した。どんどん人が増す構内はさっきよりもさらにごった返していて、思うように前へ進めない。見えているのに届かない。ヒバリはこちらを振り向かない。その横顔にじっと目を凝らしていると、焦る気持ちが徐々に胸を塞いでゆく。急げ。逃すな。うかうかしていたら、せっかく手に入りかけたものに逃げられてしまう。走り出せないもどかしさだけが募る。幻の声に背中を追い立てられているようだった。
ヒバリがこちらに顔を向けた。片手を上げると気づいたようで、非難するような目で見つめ返してくる。
「待たせたな、行こうか」
早口で言い、ディーノは立ち止まらずにヒバリの腕に手を伸ばした。最初は肘のあたりをつかんで、そのまま下へとすべらすと自然に手のひらに指が触れた。握り込んで、引っ張る。顎は上げたまま。驚いたのかどうでもいいのか思ったほどの抵抗はなく、自動改札が先へ進めと無責任に促す。だからといって決してヒバリを振り返ってはいけない。このまま踵を返して車をつかまえ、どこかに連れていってしまおうか。気づいてはいけない。今、自分はおそろしいことを考えている。つないだ手のひらに力がこもる。手を離さないように、ではなく、意識を手放してしまわないためにより強く握った。指に痛みと震えを感じながら、満員で閉め出された人々であふれたホームに駆け上がる。電車は目前で扉を閉じて走り出した。すぐに見えなくなり、行き先がわからないまま遠くの暗闇へと飲み込まれていった。