いつかのメリークリスマス(1)

「日本でクリスマスを過ごすのって初めてだけど、思ってたより静かでいいな。人は多いけど、のんびりしてるっていうか。イタリアでも今日の夕方くらいまではどこも賑やかなんだが、町中でクリスマスの買い物合戦ていうか、目の色変えて走り回ってるって感じだもんな。みんなこんなに楽しそうにゆっくり歩いてないぜ。明日は店なんかどこも開いてないし」
 色とりどりの電飾が輝く街の景色は、特別の季節にはるばる海を渡ってきたひとを大いに満足させたようだった。
 見渡したいつもの町並みのどこが違うかというと、ビルとビルのあいだや広い車道の両側に延々と煌びやかなネオンが飾られているとか、どこの店のショウウィンドウをのぞいても『メリークリスマス』の文字やクリスマスツリーが目に入ることだ。この時期は本当にどこでも、まるでその日を祝わないと罰が当たると思い込んでいるみたいに町中がクリスマス色に染まる。そこら中に赤と緑とサンタとトナカイがあふれ、天使や星がぶら下がったクリスマスツリーが幅を利かせている。家でも12月に入るとさっそく、母親が待ちかまえたようににせ物のもみの木を出していた。やっぱり来年はもうひと回り大きいのを買おうかしら、などと呟きながら。
 隣を歩くひとのポケットの中でベルが鳴る。電話の持ち主がうれしそうに「ロマーリオだな」と独り言を言って通話ボタンを押した。親子連れやカップルのあいだをすり抜けながら電話の声に耳を傾け、うん、そーだな、わかった、また連絡をくれとイタリア語で返している。
「わりーな。なんかまだ用意が整わねえらしくて、あと1時間はかかるってよ」
「そう」
 宗教に基づいたシーズンイベントを全うするのがあたりまえの環境で育ったイタリア人は、仕事で海外に出かけていてさえ、きちんと行事をこなしたいものらしい。イブはホテルでファミリーあげての大パーティー。降誕祭当日は一日オフにして、午前中にミサにでかけたあとは仲間たちと静かに過ごすのだという。しかもだ。いつもであれば何をおいても会いたいと駄々をこねるひとが、今夜のパーティーには来て欲しいけれど、明日は誘わないから家族と過ごすようにと真顔でいうのだから笑ってしまった。
「日本では、クリスマスは家族より恋人と過ごすひとが多いって、テレビで言ってたけど?」
「ダメだ。クリスマスは家族で過ごすものだって決まってるんだぜ」
 意地悪半分、失望半分でそう言っても相手にされなかった。一ヶ月も前からホテルの部屋にツリーを設えているようなひとは心構えが違う。
 外はそんなには寒くなく、薄手のセーターにジャケットという恰好で歩いても平気だった。ディーノはカーキのジャケットに迷彩パンツといういつもの姿だ。これといって特徴があるわけじゃないのに振り返る人が多いのは、単に外国人だからと言うわけじゃないように思う。どこへ行っても目立つひとなのだ。
「でもホント、恭弥の言うとおりカップルが多いな。それってどこの国でも一緒なんだな」
 クリスマス・イブに男女二人連れで歩いていたらそれは恋人同士と思うのは、普通の感覚だ。ただ並んで歩くのとは違う。歩調を合わせて、時々視線を合わせながら、楽しそうに声を立ててわらい過ぎていく。家族ではなく、でも同じように大事に思う相手かもしれない。特別の夜に同じ時間を過ごしたいと願うほどに。
 何をするわけでもなく、一秒ずつ流れていくだけの時間を共有したいと、明確に意識したわけではないのだけれど。それに、他人の目を意識したことなど今までなかった。ふと思う。外国人のディーノと僕が並んで歩いていたら、どんなふうに映るんだろうって。年が近いわけでもない、これといった共通点もない、あまりにもかけ離れたちぐはぐな組み合わせ。クリスマスに一番に会いたい相手には絶対に見えない。
「あと1時間か。どっかカフェでも入るか? それとも見たい店とかある?」
 肩を叩かれ、ぼんやりしていたのを急に現実に引き戻された。どうしたと目をのぞき込んできても、身を固くするほどの近い距離じゃない。人目のあるところでは抱き寄せたりしないし、手を引かれることもない。あまりにもわきまえたひとに腹が立つなんて不思議だった。
「別にない。1時間ぐらいなら散歩してればすぐに経つだろ」
「デパートとか寄りたくね?」
「どうして」
「欲しいものあったらと思って」
「プレゼントはもう買ったって言ってただろ」
 そーなんだけど、他にもなんか買ってやりてーんだよな、と明るく笑う。イタリアではクリスマスのあいだ中プレゼントをツリーの麓に飾っておき、新年を迎えてからようやく開封するのだそうだ。
「日本のしきたりでは、クリスマス・プレゼントはイブに渡して、すぐに開けるんだろ? テレビのニュースでそんな説明してたぜ」
「そもそも日本にはクリスマスを祝う習慣がないよ」
「わーってるって。そうじゃなくてな」
 さっきあるデパートの中を通り抜けたときに見かけた、宝飾店のガラスケースに張りついてアクセサリーを選んでいたカップルと同じことをしたいのだと言い張る。変なひとだ。
「いいよ。別にいらない。欲しいものないし」
 心から本心だった。それよりも、どこでもいいから人のいないところに逃げ込みたかった。常識とか好奇の目を感じないですむところ。
 いらいらしながら見回すと、コンクリートジャングルの隙間に見慣れない小さな建物が見えた。
「へえ……こんなところに教会があるなんて知らなかった。ちょうどミサをやってるみたいだな」
 隣から声が聞こえて、ふたり同時に同じものを見ていたことがわかる。
「って、おい、恭弥?」
 自然に足が動いていた。わけがわからず引き留めるひとを振り返らずに、屋根に十字架を掲げた建物の階段を上った。濃い色の木製の扉に手をかける。そっと押し開けると中は暗く、長椅子に腰掛けるひとはまばらで、ロウソクのあかりが祭壇にむかって両側の壁沿いに一列に灯っていた。草とカラメルが混じったような独特の香りが漂ってくる。
 なんとなく足踏みしたままためらっているひとを振り返って、扉の脇の貼り紙を指した。
「誰でも自由に入っていいって書いてある」
「うん……それは読めるけど」
 ディーノが驚くのは当然だろう。誓って僕は宗教とは無縁だからだ。
「同じように時間を潰すなら、ただ歩き回るよりはいいだろ。行こう」
 まだ半信半疑のディーノの手を取った。え、と驚く声がする。自分でもどうかしているのはわかってる。本当の理由を知られたら気を悪くするかもしれないし。
「暗いな。はぐれないでよ」
 言い訳のように口のなかでつぶやいて、指と指を絡めた。ディーノはひっそりと声を落として笑い、僕の手を握り返してきた。軽く引っ張り、こちらの足を少しだけ止めさせる。牧師の話は佳境のようで、最後尾の扉の前など誰も見ていない。肩に手が置かれて、急に耳が熱くなった。耳元に息がかかる。
「メリークリスマス、恭弥」
 すきだよ、というのと同じ声がした。

或る聖夜。2006年ヴァージョン。
関連作品 : いつかのメリークリスマス(2)