恭弥をおうちに迎えましょう

 午前八時。オレはいつものように水と餌皿を両手に持って、新しいペットを探し回っていた。
「きょうや! 出てこいって! メシだぞ!」
 あの子がウチに来てから毎日こうだ。ちょうど一週間になる。
「恭弥〜? 今日のごはんは生ハムとルッコラのサラダとかぼちゃのスープだぞ。プチトマトのフォカッチャもあるぜ。お前パン好きだよな?」
 さすがはうさぎというべきか。たとえ飼育用に改良された品種でも野性の本能はしっかり残っているようで、部屋の隅やソファの下が大好きな習性には本当にまいった。目を離すとすぐに行方不明になってしまうのだ。今朝だって、朝飯を与えようと柵つきミニベッドから出してやったと思ったらこれだ。手がかかるったらない。
「いい匂いだろ。いつまでも出てこねーと食いっぱぐれんぞ。オレはしつけは厳しくするからな」
 猫なで声で話しかけながら、まずはお約束でベッドの下から捜索を開始。いない。クローゼットをくるっと覗いても見当たらないので、次は窓際のソファの前にうずくまって、絨毯に頬をくっつける。
 ビンゴだ。奥でもぞもぞと動く影がある。
「こら、出てこい。めしだっつうんだよ」
 言いながら、水の容器を床に置いて腕を伸ばす。
 やわらかい腕に当たったので掴んで引きずり出すと、ずるずるとなすがままの体勢の恭弥の黒い頭部が、ソファの下からゆっくり現れた。
 やはり腹が空いていたのか、小さな身体が狭い場所からぴょこんと飛び出たかと思うと、こちらを見向きもせずにサラダとふかふかのパンが乗った皿にむかって一目散に突進する。
「おっと、まてまてー」
 手づかみで食べさせるわけにはいかないので慌ててフォークを握らせると、今日の恭弥はめずらしくそれを投げ捨てなかった。
 握りしめた銀のフォークで、まずは色とりどりの野菜サラダを狙う。ためらう様子もなく、ひと思いにざくっと突きたてる。うっわあ、容赦ねえなこいつ。サラダの悲鳴が聞こえそうだ。
 恭弥は何枚かの葉っぱがささったフォークを苦労して口元に運ぶと、それを一度に口に入れずに先の方を少しかじって、もしゃもしゃとかみ砕いた。ごっくん、と喉を鳴らしてのみ込んでから次のひと口に取りかかっている。
「おお、すげえな。やればできるじゃねえか」
 昨夜の食事のときに、口いっぱいにモノを頬ばってはいけません、お行儀が悪いですと教えたばかりだ。しつけの成果が出始めているのかと、ちょっと感動してしまった。
 テーブルにつかずに床に直に皿を置くのもどうかと思うが、赤ちゃんのうちは一度にいろいろ要求してもどうせ覚えないので徐々にしつけましょう、と飼育書に書いてあったので我慢、我慢。それにもう食べ始めてるし。一見無表情だが夢中ですすっているスープを取り上げるのは、さすがにかわいそうだ。
「うまいか? いっぱい食って大きくなるんだぜ。……って、あーほら、ぼろぼろこぼすなっての」
 やはり幼児用の前掛けを買ってやらなきゃならないか。今日は仕事で外出するから、帰りにデパートに寄ってみよう。
 葉っぱやナッツの食べこぼしを拾って皿に戻してやって、合間に水に顔を突っこんで顔中べちゃべちゃにするのをタオルで丁寧に拭いてやる。タオルをあてがわれると反射的に「むー」という顔で目をつぶる仕草はやはり子供だ。くすぐったかったのか、恭弥はくしゃみをして、ぶるっと肩を震わせた。
 まさか風邪でも引いたかと額に手をやろうとすると、それはきいっと歯を剥いて拒否された。
「おっと、すまん」
 苦笑しつつ手を引っ込める。そうだった。動物は食事中に何かとかまわれるのをあまり好まない。
「……お前って、ホントかわいげねーよなあ」
 それでもまだ初日に比べれば、意思の疎通がはかれるようになったほうだ。
 最初の日など、連れ帰ったときに入っていたキャリーバッグから専用のミニベッドに移すだけで二時間かかった。引っ張り出そうにも、体にさわらせてもくれないのだ。
 キャリーの戸を開けその前に餌を置いて待つこと一時間。おそるおそる前足を出したのをとっつかまえて、抱き上げるまでにさらに三十分。やっとの思いでここが新しい寝床だと納得させて、あばれ疲れた恭弥が眠ってくれたときには、オレは気に入りのシャツをぼろ雑巾にされ、腕には無数のひっかき傷をこしらえていた。
 引っかくくらいならマシだ。人間の幼児でいう乳歯でがぶっとやられたときにはなあ。マジで涙出たっつうの。
 自宅で愛玩用のペットを飼うなんて久しぶりだから、勝手を思い出すのまでは、とにかく苦労の連続だった。一週間経ってようやくコツを思い出したというか、そういえば赤ちゃんなんて動物も人間も勝手きままな生き物だよなあ、と諦めがついたのは昨日くらいからだ。悟ったというより、怒ってもなだめても全然言うことを聞かないペットにカリカリするのがバカらしくなったというか。ようするにオレのほうが根負けしたのだ。
「つうかおまえは、いつになったらペットらしくなるんだろーな……?」
 恭弥を飼い始めて一週間。
 まだまだ前途多難な日々である。


「………………リボーン」
「なんだ」
「これは、いったい、なんだ……?」
「うさぎだ」
「うさぎ?」
「美兎だろ?」
「うん、顔…見えてねーけどな……」
 リボーンが指し示した小型のケージ。そこには子供が眠っていた。
 頭から毛布をかぶっているので顔は見えないが、盛り上がった形やサイズはツナが抱えている三匹とほぼ変わりない。人間の二歳児くらいの大きさである。
 じっと眺めてみる。あ、いま毛布の下で頭が動いた。毛布がずれて黒髪がのぞき、ぽちゃっとした白いほっぺたがのぞいた。よく眠ってら。うっわ、まつげ、ながっ。つうかめちゃめちゃきれいな顔した赤ちゃんだなあ。柔軟剤のテレビコマーシャルかなんかに出てきそうだ。
 思わず目を奪われたオレを急かすように、いつの間にか背後に立っていた赤ん坊がきっぱりと言った。
「おまえ、こいつを飼え」
「……は?」
「聞こえなかったのか。おまえにこれを譲ってやると言ったんだ。おまえの責任でしつけをして、来年行われる品評会に間に合わせるんだぞ。わかったか」
「えええええっ」
 オレは悲鳴を上げてケージの前から飛び退いた。
「なんでそんなに驚くんだ」
「驚くだろフツー! ってかコレ、どっから見ても人間の子供じゃねーか!」
 とりあえず最初にツッコむならやっぱここだろ。決して問題はそれだけじゃないが。だいたいはじめは頼みたい、とか下手に出ていたのに、なんでいつのまにか命令形になってんだよ。
 正体不明の赤ん坊が、しれっとした顔で首を横に振る。
「ちがうぞ。これは雲雀恭弥といって、人型のうさぎだ」
「いやいやいや。他のやつらは確かに耳があるからな。うさぎだっつうんならそれでもいいさ。だがどう見てもこの子は人間つーか、百歩譲っても着ぐるみ着た赤ん坊だろっ。いくらあんたでもこれはないだろ。こんなもん気軽にやるとか言うなよ。ボンゴレはついに人身売買に手を染めたのかっ?」
「バカを言うな。これは発育不良気味だからわかりにくいだけで、間違いなくウサギの変種だぞ。小さいがちゃんとうさ耳もあるし、血統書もあるぞ。見ろ」
 うさぎの耳と血統書は同列なのかよ、とツッコむ前に、リボーンは自信たっぷりに、ほら、とペットの首にかけた血統書をオレに見えるようにひっぱった。つられてのぞき込む。
「ホントだ」
 そこには確かに書いてある。『うさぎ。のようなもの』って。
「納得したか」
「するかっ!」
 こんな『子供銀行』って書いてある札束みたいなもんで、大人が納得するわけねえだろ!
「のようなもの、ってなんなんだよ! しかも字、めちゃめちゃ小さいし!」
「細かいコトを気にするな。小さい男だな」
「ち、小さいって」
「面と向かって小さいって、いろいろ語弊があるなあ……」
 ショックのあまり呆然とするオレに、弟分が追い打ちをかける。なんだこの師弟。息ぴったりじゃねーかよ。
「じゃー頼んだぞ。ちゃおっす」
 勝手気ままな師匠は自分の言いたいことだけを言い終えると、目を開けたまま死んだような熟睡体勢に入った。こうなったらリボーンはもう爆撃しても起きないことは知っている。オレは途方に暮れるしかなかった。
「あ。ひとつ言い忘れてたぞ」
 ぱちっと目を開け(いや、目は瞑っていなかったが)リボーンが懐から一冊の本を取り出した。
「これをおまえにやる。がんばれよ」
「なんだよこれ?」
 受け取って、まじまじ見ると、それはペット飼育に関する手引き書だった。
『うさぎの正しい飼い方』の『うさぎ』の部分に上から線を引いて、雲雀恭弥とわざわざ書き直してある。しかも手書きで。たぶんリボーンの仕業だろう。
 オレはそこに師匠の深い愛があったと信じたい。多少投げやりであったとしてもだ。

update: 06.11.8