なつやすみ。

 並盛町で毎年行われる夏祭りのメイン会場は、花火が上がる市街の河原と、もうひとつは並中グラウンドである。
 ふたりが並盛中に到着した時、もう何度も通ってディーノも見慣れている校庭の中央に巨大な舞台(櫓というのだそうだ)が組まれており、その周囲をたくさんの人びとが取り囲んでいた。にぎやかな音楽に合わせて何重もの人の輪が、歩くのとほとんど変わらない速度でゆっくり同じ方向に流れている。
 ふとディーノが隣を見ると、並んで歩いていたひとの足が止まっていた。
「あのダンスは?」
「盆踊り」
 ヒバリがグラウンドを見つめながら、そっけなく言う。ディーノがそれじゃわからないとつっこむと、日本のポピュラーダンスなのだと教えてくれた。
「日本の祭りはすごくドメスティックなのに、なんかどこか幻想的だな。夜に火を焚くところとかはやっぱアジアっぽい。ヨーロッパのカーニバルとは全然違うよな」
「盆踊りが幻想的?」
 ヒバリはディーノの言うことに本気で面食らったらしい。しかめっ面でしきりに首を振っている。
「あなたの言うことは時々わからない。たしかに日本の夏の風物詩のひとつだとは思うけど、日本人はみんなああいうの見慣れてるから幻想的でもなんでもないし、僕もこういう場合でもないと祭りになんか来ないよ」
 こういう場合……というのは、オレが誘ったから?
 などとうっかり尋ねたら、たちまち機嫌を損なうから黙っておく。
「じゃあ恭弥はいつもは祭りには参加しないのか? もったいねえな」
「風紀委員の仕事がなければ来ない。風紀を乱す集団でもいないと、することないし」
「そうか? 盆踊り、すげえ楽しそうだぜ。恭弥も一緒に踊ればいいのに」
「小学校のときに地域委員でさんざん踊らされたから、もういいよ」
 バカじゃないの、と一蹴されるかと思いきや。
 ヒバリはうんざりだというように顔をしかめただけだった。口をわかりやすくヘの地に曲げているけれど、口調に棘はない。
「小学生のときから委員かよ? お前ってホントなんとか委員とか好きなんだなあ」
「それは──」
 ディーノはそれを、何気なく口にしただけだったのに──
 ヒバリの表情がはっきりと変化した。
「どうした? オレなんか変なこと言ったか」
「べつに」
「そっか。ならいいけどな」
 もう少しつっこんで尋ねてみたい気がしたけれど、大人げないのでやめておく。
 ヒバリがあきらかに「しまった」みたいな、困った顔を見せるなんてそうそうあることじゃないが、よく考えれば確かにそれは「べつに」おかしいことじゃない。それにいちいち驚くほうがよほどおかしい。いつもは周囲はおろか本人すら忘れているけれど、ヒバリの年齢からすると、本来はこういう子供らしい表情のほうが年相応なのだ。
「花火……は、さすがにこの時間じゃ終わっちまったかな。ホテルにいる時は聞こえてたのに、もう音が聞こえなくなってる」
「花火大会は10時までだからね。とっくに終わってるよ」
「えっ、そうなのか?」
 ディーノはびっくりして、隣のひとを振り返った。
「そいつはちょっと……じゃなく、かなり残念だな。惜しいことした。日本の夏は浴衣と花火と蚊取り線香だって聞いてたから、楽しみにしてたんだけどな」
「そうなの?」
 相手の様子に驚いたのか、ヒバリまでがつられて語尾を上げて見返してくる。ヒバリはわずかに口ごもり、さらに少し機嫌を損ねたのか、ディーノを見返してうっすらと眉を寄せた。
「だったら僕を待ってないで、さっさと見に行けばよかったのに。ひとりがいやなら誰かいるだろ。後ろについてきてる黒服たちとか」
「ああ……ゴメン。そういう意味じゃなくて、」
 ほらまた。そんなふうに、見慣れない顔をうかつに見せるものじゃないのに。
「それじゃ意味ねーだろ。いいよ、オレにとっては日本ていう国は恭弥がいてこそだ。おまえと一緒に日本の夏の風景を見たかったから、こうしてるだけですげえうれしいよ」
 しばらくの沈黙のあと、
「……なにそれ」
 ぽつりと聞こえてきた頼りない声はごく近く、ディーノは心の中で天を見上げて嘆息した。
 異国の地で、目の前で好きなひとに、自分の何気ない言動に拗ねたみたいな顔をされたら──。
 そうでなくてもやわな理性とか自制心など、簡単に吹き飛んでしまう。肩を抱き寄せるとか、こっそり手を握るとかしないですんだのは奇跡だ。
「あと少しで……11時になる……」
 しばらくむつっと押し黙って、心持ち顔をうつむけて逡巡するように一点を見つめていたひとが、急に顔を上げた。背の高いディーノを見上げて、目線を横に動かして意思を伝えてきた。ここから移動しようと言っている。
「ん?」
 ディーノが語尾を上げて訊き返すと、ヒバリは結んでいた唇を少しだけゆるめて笑みのようなものを見せた。
「急ぐよ。あまり時間がない」
「次はどこに連れてってくれるって?」
「ついてくればわかる」
 けれども言葉はやはりそっけなかった。次の目的地について説明してくれる気はさらさらなさそうだ。
「はいはい。どこまでもお供しましょう、お姫様」
 苦笑しつつ、後ろを見ずに歩き出したひとのあとについて足を踏み出す。
 と、ふと知らない誰かの声がディーノの耳に飛び込んできた。
 自分たちの数歩うしろを歩いている、ふたり連れの女性の会話だった。ひとつに気がつくと、周囲にいる他の人々の声もはっきりと耳に入るようになった。同じような内容の囁き声は一箇所ではなく、方々から聞こえてくる。波のさざめきに似たひっそりとした気配と声が、湿った空気と一緒に体中にまとわりついてくるようだった。
(あ……そっか、あの時)
 ヒバリが「気にするな」と言ったのは、このことだったのか。
 わかってしまうと簡単なことだ。けれどもヒバリの態度があまりにも自然だったので、ディーノは今の今までその簡単なことにまったくピンときていなかった。背後でずっとひそひそ話を続けている女性たちを思わず振り返ってしまいそうになって、寸前でこらえた。うっかり目が合って驚かれても困るし、第一どんな顔をして振り返れというのだ。
 ディーノは短く息を吐き、背筋を伸ばして颯爽と前を往くひとの華奢な背中を見つめた。
 落ち着いた黒地の浴衣姿は今にも夜の闇に溶け込んで、目を離すといなくなってしまいそうだ。それは骨格も出来上がっていない薄い背に儚さを感じるからではなかった。
 ヒバリはこちらが手を差しのべる前に、自ら道を切り開いてゆくひとだ。どこにいても、誰といても、たとえ真夏の夜の魔法がかかっていたとしても。ヒバリはあくまでもヒバリらしさを失わない。
 強くてつめたくてかわいいひとなのだと、もう充分にわかりきっていることをあらためて思い知る。
 たぶん固い表情をして、まっすぐ前を向いて進むひとの心情を思うとたまらなくなる。ディーノはさっきよりもせっぱつまった愛おしさが胸を満たしていくのを感じた。


◇ ◇


 並中グラウンドを離れ、ふだんは多くの並中生が通学路にしている大通りを少し進むと、商店街の入り口が見えてきた。いつもなら午後7時には店じまいしているところが多いのだが、今日に限っては11時近くなろうとしているのに人通りが妙に多い。
 よく見ると、飲食店以外の店舗のシャッターはほとんどが降りているのだが、その代わりに店の前面の舗道が簡単な作りの屋根つきの小屋のようなもので埋め尽くされている。夏祭りの夜店が出ているのだ。確かそこは車が通る道路だと記憶していたけれど、今は車道の真ん中にまで折り畳みの長椅子や机が並べられ、人々はそこで思い思いにくつろいでいるようだった。イタリアで言うと観劇のあとに一杯やるために立ち寄るような、カフェの椅子で埋め尽くされた広場に少し雰囲気が似ている。
 商店街の端から端まで、オレンジ色のあたたかい電球色に彩られた屋台が両側に建ち並ぶ通りには、おいしそうな食べ物の匂いと大勢のひとのざわめく声があふれていた。さっきのダンス会場とはまた違ったにぎわいだ。
「もしかして、ここが恭弥の仕事場か?」
 ディーノが冗談めかして訊くと、ヒバリはごくまじめな顔で、そうだよ、と返してきた。途中で近寄ってきた風紀委員の腕章をつけた学生服姿の生徒から簡単な報告を受け、わかった、最後まで気を抜かないように、と静かに言い聞かせている姿はなかなか堂に入っている。
「僕がここを離れてから乱闘が2件、所場代踏み倒し未遂が1件あったらしい。今年は比較的静かだね、無意味に群れている獲物もいなさそうだ。つまらないな……」
「おいおい獲物って」
 真顔でさらりとつぶやいたかと思うと、ヒバリが急にぴたっと歩みを止めた。
「ん? どーした?」
「────」
 急にバタバタっと足音が近づいてきた。これだけたくさんのひとがいるのに、限られた音だけを耳が認識している。ディーノは不思議に思い、ふと前方に目をやってすぐにその理由を察した。
「ディーノさんじゃないですか!」
 目の大きい小柄な少年が屋台のひとつから飛び出して、こちらに向かって走り寄ってきた。片手にオレンジ色のアイスキャンディーを握りしめている。
「おっ、ツナじゃねえか。なんでお前がこんなとこにいるんだ?」
「それはディーノさんですよ。浴衣なんか着て、遠くからでもすごい目立ってますよ。すぐにわかりました。今日は僕と山本と獄寺君でアイスの店出してるんですよ」
「へえ、そうなのか」
 人混みをかき分け、にこにこと手を振りながら駆け寄ってきたツナは、
「ひ、ヒバリさん!?」
「…………やあ」
「ひいっホンモノ!!」
 まさかディーノと一緒にいるのがヒバリだとは夢にも思ってもいなかったのだろう。ツナは気の毒なほどぎょっとして一歩半後ずさった。口のなかでアワアワ言っている。
「獄寺君が絶対そうだって言ったんですけど信じられなくて……やっぱホンモノ! うわあ!!」
「きみ、あんまり失礼なことを言うと命はないよ」
 そんなに驚かなくてもと思い、なにもそこまで厳しく威嚇しなくてもと思ったが、ツナの表情といいヒバリの脅しといい、ふたりともが揃って態度がどこかぎこちない。この出会いは両者にかなりのインパクトを与えたらしかった。側で見ていると微笑ましいが、本人たちはたぶんそれどころではないに違いない。
「あ、あのっ、こここ、こんばんは、どうもおひさしぶりですっ」
「なに言ってるの? さっきも会ったよ。所場代徴収しに来たときに」
「あ、あはははは。そうでしたっ」
「こんちわディーノさん。と、ヒバリ? なんっかすげえ意外な組み合わせっすね。びっくりしたー」
 ツナに遅れて参戦してきたのは山本だ。山本は目をぱちくりさせて、大柄なディーノと背の低いヒバリをおもしろそうに見比べている。
「つうかふたりとも目立ちすぎっすよ。向こうから並んで歩いてくるのを見てたら、道行くひとが避ける避ける。それとは別に見知らぬ女子が2、3人後ろからついてきてるの、知ってます? 逆ナンとかされませんでした?」
 ディーノがポカンとして訊き返す。
「逆ナン?」
「あるわけない。きみ死にたいの」
「うわ、恭弥! こんなとこでトンファー出すなよ!?」
「ほんとうにね、持ってくればよかったよ」
 慌てて止めに入ったディーノを恨めしそうに見上げ、ヒバリはこれみよがしに大きく肩を上下させた。そうだった。凶器はホテルの部屋に置いて行けとディーノが言ったのだ。
「ほんと手が早いっつうか……」
 ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、
「って、待てよ恭弥っ、勝手にさっさと行くなって! はぐれるだろっ!」
 気づくとヒバリの姿が忽然となかった。すでに三軒先のあたりを歩いていく黒い浴衣地がひとの隙間から見えている。
 ディーノは思わず頭を抱えそうになった。
「いきなりなんなんだよ、わっかんねえー……」
「またなヒバリ。ディーノさん、おやすみなさい。早くあいつ追っかけないと見失っちまいますよー」
 山本の言う通りだ。ぼうっとしている場合じゃない。
「おう! またな、並盛ボーイズ!」
 お気楽に手を振る山本を振り返って片手を上げ、ディーノは人混みのなかに紛れ込もうとするヒバリの後ろ姿を目で追った。さすがは地元育ち、祭りの混雑には慣れているのか、ヒバリはごった返す人びとの群れをものともせずに早足で遠離っていく。
「ディーノさんっ、これっ」
 ツナが咄嗟にディーノの浴衣の袂をつかんで、手に持っていたアイスを差し出す。
「僕たちが作ったんです、食べてください。それから、」
「おーありがとな。もらってく。うまそうだ」
 ディーノが笑って礼を言うと、ツナはにこっと笑顔を見せた。
「ヒバリさんって委員の仕事ではこういうとこ来るけど、ディーノさんと一緒にいるなんてホントびっくりしました。でもふたりともすごく楽しそうに見えました。浴衣、似合ってますよ!」
「ああ。並盛の祭り、すげえ楽しいぜ」
 ディーノは自然に肯いていた。ほんとうに今夜は驚かされてばかりだ。
「みんなあいつの──恭弥のおかげだ。じゃあなっ」
 ツナに別れを告げ、ディーノは人波を縫って駆け出した。


◇ ◇


 ディーノが先を急ぐひとにようやく追いついたときには、祭りの喧噪ははるか彼方に遠離っていた。近くにいたときは身体が揺れるくらいに感じた太鼓の音色が、今はラジオの中から聞こえているみたいに軽くて遠い。少しずつ小さくなり、風に紛れて聞こえにくくなっていくその音は、外国育ちのディーノにすらどこか懐かしさを感じさせた。そして楽しかったバカンスの終わりを告げる音なのだと思うと、なんとなく寂しい気持ちになる。
 ヒバリはホテルに続く坂の途中で、いつものような速度で歩けなくて後れをとっていたディーノを待ってくれていた。
「ウソだろ。行きはそうでもないと思ったのに、ホテルまでがけっこう遠いな。まだあんな遠くにある」
 やっとヒバリに追いついて、ホテルのある方向を見上げたディーノは思わず声を上げて肩を落とした。
 たいていの場合車でさっと通りすぎていくだけの坂は、歩くと意外に傾斜がきつく距離が長かった。体力的には問題ないが、着物の歩きにくさは馬力ではどうにもならない。この坂を最後まで上りきり、ホテルの広い前庭を突っ切って玄関までたどり着こうと思ったら、まだあと軽く1キロメートル近くありそうだ。ディーノは自分の膝に手を置いて大きく息をし、側道の木にもたれてこちらを見ているヒバリに声を掛けた。
「お前は、恭弥? たくさん歩かせたけど疲れてないか?」
「平気だよ。これくらいの距離は通学で慣れてるからね。あなたがふだんに車を使いすぎなだけなんじゃない?」
「言ってくれるな。キャバッローネの現役10代目にむかって、もっと足腰鍛えろってか?」
 ちょっと、傷つく。いやちょっとじゃない。かなり傷つく。
「そこまでは言ってないけど」
「オレの足腰が強いかどうかは、恭弥がいちばんよく知ってると思うけどな……と、ああ、そうだ」
「な──」
 途端にヒバリがさっと顔色を変えた。ディーノの言ったほんとうの意味が通じたのだ。なにその言い方、親父くさい、と冷たい目で睨まれるかはっきり罵倒される前に、ディーノは急いで片手に握りしめていたアイスをヒバリの鼻先につき出した。
 ヒバリの表情がまた変化する。不意を衝かれた顔だ。
「これ、ツナがくれたぜ。アイス。食べるか?」
 ヒバリはまだ怖い顔をしているけれど、手を伸ばしてくる。
「……アイスでごまかそうとしてるね」
「んなことねえって。ほら、しかめっ面してないで早く食えよ。でないと溶けちまう」
 ディーノが急かしたのは冗談ではない。ヒバリを追って屋台のあいだをすり抜ける途中、それがずっと心配でしょうがなかった。せっかくツナがくれたものだ。
 返事はなく、ヒバリは15センチほどの棒状のアイスキャンディーをじっと見つめている。やがて意を決したかのような真剣さで、少し丸みを帯びた先端にぱくっとかじりつき、数センチほどを噛み砕いて口の中に入れた。
「何味?」
「オレンジ……、みかん味、かな」
 わざわざ言い直したところを見ると、両者には違いがあるらしい。ディーノにはピンとこなかったが。
「違い、わかるのか」
 ディーノが笑って尋ねると、ヒバリは、うん、なんとなくね、と曖昧にうなずく。確かめるようにもう一口食べて、絶対そうだよ、とまじめな顔つきでくり返した。
 ヒバリが見慣れない浴衣姿で、いつになく幼い仕草を見せるからだろうか。いつもより声の感じがやわらかい気がする。
 ヒバリだけじゃなく、ヒバリに話しかけるディーノの口調もいつもとは少し違っている。心の中も同じで、ヒバリを見つめていると必ず襲ってくる昂揚感のようなものをあまり感じない。むしろ年の離れた兄弟に接しているような気分のほうが強かった。
 ギリギリまで追いつめられて一気に吐き出すときもあれば、一歩引いて包み込むことに満足を覚えるときもある。思いの収まっている器や、思いを向けている相手は同じなのに。けれどどれもが、たった一人のひとに対する愛情には違いない。
「うまいか?」
「食べてみればわかる」
 ヒバリがそっけなく言う。ディーノは肯くと、ヒバリから差し出されたかじりかけのアイスを受け取って自分の口に入れた。
 氷の塊は痛いくらいにひんやりしていて、一口かじり取って含んだだけで舌を伝う冷気が喉の奥にまで一気に広がっていく。
「……これがみかん味? わかんねー」
 ディーノがそう言うと、ヒバリがおかしそうに吹き出した。
「どっちでもいいよ。冷たくておいしければ、それで」
「そうだな。うまいし」
「うん」
「夏祭り……すげえにぎやかだったな。楽しかった。恭弥の浴衣姿も見られたし」
 少し俯き加減で歩くヒバリの歩調は、歩き方がぎこちないディーノのそれとぴったり重なっている。わざと合わせてくれているのかもしれなかった。
 これは、真夏の夜の夢かもしれないと、ふと思う。
 同じ振り付けで大きな櫓の周りを囲んでいた人の輪も。
 見られなかった花火も。
 自分に逆らってばかりのヒバリが、むやみに目立つことを何より嫌うひとが、そうでなくても人目を引く外国人と一緒に祭りに行ってくれたことも。
 夢でなければいいとは思うが、自信はない。
「楽しかったのなら、いい」
 ヒバリが唐突に口を開いた。
「これが僕の生まれた国の、並盛町の夏の風景。規模は小さくてささやかだけど、僕が子供の頃からずっと変わってない。あなたに見せておきたかった」
 こんなときにうまい言葉が見つからない自分が歯がゆい。散々考えて、ディーノはいちばん素直な気持ちを言葉にした。
「じゃあ今度は一緒にイタリアに行こう。オレの生まれ育った町にも、年に一度、町中のひとが総出で大騒ぎするカーニバルがあるんだ。いつか恭弥を連れていきたい」
 耳につく蝉の声が途切れるまでのあいだ、ヒバリからの返事はなかった。
 やがて、ぽつりと
「そうだね、いつかね」
 約束はできない。でも夢よりは少し現実に近い。今はそれでじゅうぶんだった。
 空は晴れて星が出ている。熱風が吹きつけるようだった空気はいつのまにか冷めていて、身体を寄せ合ってもそれほど暑くなかった。
 ディーノがヒバリの肩を抱くと、ヒバリはディーノの浴衣の袂をぎゅっと握った。ふたりはそのまま、ひとつのアイスを交互に頬ばりながら、ホテルまでの長い長い坂道をゆっくり上っていった。

夏と浴衣とアイスをカップル食いするディノヒバ。エレベーター編へ続きます。