ラストソング

 ヒバリにはライヴの最後にうたうと必ず泣いてしまう曲がある。
 タイトルを「フリーバード」といって、たった一曲だけディーノがすべて手がけた曲がそうだ。すべてというのは作詞作曲からアレンジやヴォーカルディレクションに至るまで、ディーノが中心となって進めたという意味である。このチームではめずらしいミディアムテンポのバラードということで、当時の新アルバム発売と同時に始まったツアーでアンコールの最後に使われて以来、ほとんどトリの定番曲になってしまっている。
 ヒバリはこの曲が初めからだいきらいだった。
 元々美メロバラードが大嫌いなので、仮歌入れの時に「とりあえずこの曲はヤダ」という意思表示のつもりでわざと声を潰して歌ってやったらスタッフに大受けして、まんまとオーラスに決定したという経緯がある。自業自得というヤツである。



 曲がきらいというのは言い訳みたいなもので、実はヒバリはこれを書いたディーノ本人がいちばん苦手なのだった。見てくれから軽薄な言動から何かにつけ構いたがる人懐っこくあけっぴろげな性格に至るまで、とにかくディーノのすべてが気に食わない。この警戒感は本能に近いものがある。
 ヒバリは歯に衣着せない性格なので、彼には最初にハッキリそう宣言した。「僕はあなたとなれ合うつもりはないから」と。
 言われた相手も別に気にするような性格ではないので、そうなんだ、まーでも仕事だしちゃんと歌ってねと軽くあしらわれてからは、その陽気なイタリア男のことを一気にそれまでの100倍きらいになった。
 いつかコイツかみころす。
 と、心に誓って早2年。
 未だにどうしてもうまく歌えない「フリーバード」をはじめて耳にした日からも、同じだけの時が過ぎた。
 そして──以前からのバンド内での約束で、ヒバリがこの曲をうたうのはとりあえず今日で最後と決めてある。正真正銘のラストソングだ。



 ヒバリのいるバンドには、メインで曲を書く人間が二人いる。
 ひとりはメロパンク系の曲を書かせたら右に出る者がいないメロディメーカーだが、歌詞は幼稚園児の絵日記以下の(絵でもついていないと本人以外には理解不可能という点でもそうだと言える)爆裂ギタリスト。もうひとりはリズム隊にはかなりめずらしい部類の泣き系ポエマーなのに、曲はほぼ全曲スリーコードで事足りるというすさまじい才能の持ち主である。
 ベーシストに至っては腕は生教則ビデオかと思うほどの超絶技巧を持っているが、浮かんだメロディを譜面に起こせないためにしょせんは鼻歌止まりという使えなさ。今でもオリジナルのベースリフは常時彼の頭の中でのみ鳴っていて、既製の曲は全部耳で覚えるのだからある意味天才なのだが、その稀な才能も曲作りにはなんの役にも立たないのだった。
 当のヒバリは頼まれたって曲など書かない。歌をうたわされるだけでとんでもないことなのに、さらにそんな露出狂みたいなはしたない真似ができるわけがない。
 つまりその使えるのだか使えないんだかわからないギターとドラムがコンビを組んで主な楽曲を作っているのだが、2年前からツインギターとしてディーノが加入してから曲や演奏に幅が出て、バンドは飛躍的な成長を遂げた。それに連れて世間の知名度もどんどん上がって、デビュー4年目で初登場オリコン1位とは言わないまでもけっこういい線まで食い込むようになった。特に件のディーノのバラードが人気の一因を担っていることは、メンバーもおおいに認めるところだ。
 歌詞はというと片方の羽根をもがれた鳥が空を見上げている、思うひとのいるあの空へ還りたい、誰か僕をあの場処へ連れていってという非常にわかりやすい内容で、新加入の条件としてラヴソングを一本以上必ず書いてこいという鬼ディレクターの強制により、ディーノはこれを書き上げてきたのだった。



「……っ」
「どうした恭弥?」
 歌の途中でヒバリが声を詰まらせると、ディーノは必ずさりげなく舞台の中央に寄ってきて声をかけてくる。それがたとえリハーサルでも本番でも関係なく、ヒバリの頬に自分の頬を押しつけて勝手にコーラスを入れてきたりもする。というかそんなコトはしょっちゅうだ。
 アンコールのラスト──フリーバードの途中でヒバリがひっかかるのは周知の事実なので、ディーノのちょっかいはさらに顕著になる。かわいい顔をして凶暴なヒバリに彼があまりにも当然のようにやたらと構うので、他のメンバーは呆れながらも最近はすっかり放置気味だ。
 だからよけいに、ヒバリは死んでもこの曲を歌いたくないのだ。
(うざい。寄るな)
「────♪」
 ステージ上で噛みつくわけにはいかないから目で威嚇するのだけれど、ディーノは今日もお構いなしにヒバリが途切れさせたメロディをコーラスでなぞり始めた。ヴォーカルとギターの過剰な接触シーンはいつものことなので、オーディエンスの中の誰ひとりとしてヒバリの異変に気づいている者はいない。星の少ない夜空のような客席からステージへ向かって、遠い歓声と歌声が波のように押し寄せてくる。その光景はまともな呼吸を奪うほどにヒバリを圧倒して、けれどもまるで夢の中の出来事みたいに現実感がまったくなかった。
 振り返ると必ずディーノと目が合う。ヒバリが歌えなくなるときはいつだってそうだった。ハスキーなコーラスに合わせてかろうじて歌をつなぐと、ディーノはそうそう、それでいいと言うように笑いかけてきた。
 くやしい。また涙があふれてきた。
 喉が詰まって首を絞められたニワトリみたいな声しか出ない。
 最後だと思って、しかも自分のパートじゃないのをいいことに、これでもかとまとわりついてくるディーノを今すぐぶん殴ってやりたい。
 今日のライヴを最後に二年間という契約期間を終え、ディーノは本国へ帰る。最初からそういう約束だったのだ。
 悪いけど延長はナシな。ギターはオレの本職じゃねーから。
 ──なら、どうしてこのバンドに?
 恭弥の声をいちばん近くで聴きたかったから。ファンだったんだ。オレの曲をうたってもらえたらいいなって思って。好きだったから。
 またもぶん殴りたくなるようなことを。
 そういう腹の立つコトをわざわざ最終日のリハーサルの途中に告白してくるなんて、性格が悪いにもほどがある。
 あの曲をうたって恭弥が泣くのは ''知ってる'' からだろ。
 すきだすきだすきだって思いながら書いたからなー。
 なんて──軽く言いながら笑うなバカ。チャオとかいうな。


 ラストのA'メロを二回繰り返すとディーノは最後の仕事をするためにヒバリのそばを離れていって、爆裂ギタリストとへなちょこドラマーと体育会系ベーシストとディーノでガチンコバトルプレイが開始され、うたうしかできないヒバリはのけ者にされてやがて曲は終わる。いつも後ろにディーノがいた二年間は今日で終わる。

 声はあいかわらず出ていない。
 最後の一音まであと8小節。



 涙は流れ続けている。

涙の理由は知らない方がいい。(日記での妄想文を改稿)
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